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「茨城ラーメン本」発刊までのいきさつ (2000/11)part.3

act7  掲載できなかった店・掲載したかった店
 act8 あとがき・これからの茨城のラーメンは・・・

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 act7 掲載できなかった店・掲載したかった店

【掲載できなかった店】・・・取材拒否の店とか

えぞっ子@水戸・五軒町

我が家的に,雰囲気・味ともに昔から最も気に入っている店なのだが,何分にもご主人の年齢がそれなりのもの。店は夫婦でいつも二人三脚。昔からおかみさんも含めての話の端々(話すのはいつも妻なのだが)に「腰が痛い,腕が上がらない」と言う弱音が出てきていたのも事実。僕自身は普段滅多に話さないのだが,茨城新聞社から取材拒否の話を聞いたときはショックで,店に行って「新聞社の取材断ったそうですね」と聞いてみた。もちろん僕自身がHP開設していることも,ラーメン本の取材を担当していることも今まで一度も話したことはなかったのだが,別に僕が取材拒否を知っていることを不思議がるわけでもなく,穏やかに笑って「体力的に今で目一杯なのね〜ごめんね」・・・納得するしかなかった。ラーメン店のすべてが客の数が増えることだけを願っているわけではない。今までのお客を大切にして,体力的に無理のない範囲で続けて行くことを望んでいる店だって少なからずあると言うこと。

すずき@水戸・雷神前

水戸のラーメン好きな人なら誰でも知っている店だが,東西南北四方向から交通が集中する「大工町交差点」そばにある上に,駐車スペースがまったくない。そう言うわけで,地元商店街・警察等々に,違法駐車で迷惑をかけたくないから,マスコミの取材は全て断っているとのこと。また,学生や地元の人の為に値段を上げないでいるのだから,マスコミに出たことで地元の人や中高生が食べられなくなるのをご主人が嫌がっているとも。そこまでの明快な理由があれば,もはや掲載は無理である。取材拒否と言うより取材の申し込みを茨城新聞社自体,最初から諦めていた店。ラーメン好きの自認するならこの店へはクルマを離れた場所にとめて行くべし。

えぞっ子@水戸・東前

大洗街道沿いの人気店。五軒町店とは師弟関係にあり(こちらが師匠),ラーメン店の現役としては充分に老齢の店主。昼夜1時間ほどの営業でさっさと準備中の札を出してしまうくらいだから,今以上の客は望んでいないのは明らか。こちらも「すずき」同様,茨城新聞社自体最初から取材交渉を諦めていた店。そんなわけで旧ラーメン本では「えぞっ子@見和」が掲載されたようだが,僕自身は見和店は他の2店と比べモヤシのシャキシャキ感の点で大いに不満がある。炒め方の問題だろうか・・・。もっともこの東前店も太麺の茹で方は実におおざっぱ。いつもかなり固めだ。客は皆それをわかった上で通っている。僕もその内の1人。

みさお屋@桂

エミーさんのサイト(エミーの『水戸食べ歩記』)の掲示板で情報を得て取材のさなか食べに行き(>2000/07/14),その佇まい(店もラーメンも)とおばちゃんのキャラクターに感激し,その場で話を聞いてみる。最初いろいろ話してくれたのだが,ラーメン本の話をしたら急に困った顔になった。実はこのおばちゃん,大きな病気をしたあとで,思うように営業できず,今来ているお馴染みさんに迷惑をかけていることを気にしている。以前読売新聞のタウンニュース(別刷の地域版)にうっかり紹介されて,家族の人から叱られたこともあったとか。これ以上無理をして体を壊しては元も子もないと言うこと。ご家族の心配も充分にわかる。一応,「あとで正式に茨城新聞社の方から取材交渉の連絡があると思いますのでよろしく」と行って出てきたものの,案の定,茨城新聞担当者からの電話による取材交渉も不成立に終わる。息子さんから強く反対されたそうだ。そう言う事情では全く致し方ないだろう・・・。

ちょっくら@東海

HP開設まもなくの頃,飛び込みで食べに行って(1999/08/20),その丁寧な仕事ぶりに感心した店である。その日記を呼んだ現TVチャンピオン・ラーメン王のSさん(仕事の関係で当時,年に何度か東海に来ていた)に「ちょっくらはいい感じですね」と以前言われたこともあって,地域的にちょっと手薄な東海地区の若手の店として掲載を希望したのだ。が,意外にも断られた。誤解があるといけないと思い,担当者が「掲載料とかいただくわけではありません」と一応言ってみたそうなのだが,それでも答えは変わらなかった。若手の店ならマスコミの影響力なんかはよくわかるだろうから,なぜ断ったのか僕自身,今も不思議である。取材終了後に改めて食べに行ったのだが(>2000/08/29),印象は前回と同じ。ラーメンの系統的にいって,クセになるようなラーメンではないのだが,何となく気になる店である。

満久@日立

手薄な県北の店の掲載候補を探そうと,新聞社からの要請で,忙しい中何度も振られながら食べに行き(> 2000/07/16),オーソドックスな店ながら面白いと思い決定。しかし断られた。茨城新聞担当者の取材交渉の段階で断られたのでその理由はわからない。茨城新聞社の地盤である県央〜県北の店の取材拒否が意外に多かったので,担当者が不思議がっていたのが印象的だった。

香月@鹿嶋

東京・恵比寿の同名有名店の支店(フランチャイズ)だと思うのだが,あえなく取材拒否。本店はマスコミにバシバシ出る店なだけに意外である。おかげで掲載店数が極端に少ない県東地区(鹿行地区)の店選びがますます苦しくなったのは確か。この地区,食べ歩きに行こうにも遠いし,「どんぶり会議」にそれまであまり情報も集まらなかったし・・・。

栄楽@つくば

僕自身は未食。県南のラーメン店を食べ歩くカメさんが見つけてきた店で(>2000/06/22の投稿参照),評判のよかった特集記事「レトロな店を訪ねて」には「朝日屋@石岡」「小川屋@岩井」と並びこの店のこともイメージしていたのではないかと思う。残念。

きさく@古河

県西(古河地区)担当は東京在住のこばさん(マニアには大受けの巻末の特集記事「ラーメン用語集」を書いたのはこの人)。取材拒否のおかげでまた掲載店を選び直すことになりかなり苦労していた。交通費は自腹だしどうしたのだろう・・・。

【掲載したかった店】・・・掲載店決定に間に合わずその後気に入った店(2001/08現在)

※このコンテンツの完成に1年かかり結局こんなに増えてしまいました

とんこつ家@水戸・平須

壱六家@横浜」系の「家系」の店。いわきにも同名店がある。「匠家@水戸駅南」の早じまいに悩まされていた僕には時間的にちょうどいい「水戸第二の家系ラーメン」

味無限@那珂町

地域的に手薄だった那珂町にできた期待の新店。外観・メニュー構成・ネーミングに茨城では珍しい「こだわり」を感じさせる店。

たからや@水戸・南町

水戸南町本通り沿いにあり,旧ラーメン本掲載店でけっこう古い店にもかかわらず,僕自身今まで一度も食べたことがなかった店。形式的には「伊勢屋」「ミナミ食堂」と同じ「団子系の店」だが,ここの店のラーメンは油っ気がありこってりしているのが特徴。

壱福家@笠間

やはり「壱六家@横浜」系のフランチャイズ展開だが,独立系の店のような落ち着きがあり,寡黙な主人とテキパキした奥さんのコンビネーションが心地よく,何度か家族でも食べに行っている。「つけ麺」があるのが特徴的。

とんこつ家@ひたちなか・高場

開店当初こそ,トンコツの濃度的に甚だもの足りなかったが,改良を重ね今ではかなり本格的な博多ラーメンを出す。但しこの店,完全に客を選ぶ「とんこつ臭」で,東京の「なんでんかんでん」が一時期一世を風靡したときのようなインパクトがある。東京の流行はもっと洗練されたとんこつスープが主流になっているが(>「東京の博多ラーメン」),今の茨城では,県全体で考えてもかなり貴重な本格的「博多ラーメン」である。

絶品らーめんめんや@水戸駅南

この店も最初の印象がよくなかったのだが,「塩味」をメインにしていろいろ工夫するようになってきてから印象が変わった。「どんぶり会議」の投稿(2001/06/14)も参照。

大勝軒@佐貫

言わずとしれた東池袋の大行列店「大勝軒」の直系の店。正式開店前からフリークの間では話題になり,東京〜東葛方面からも多数マニアが訪れ,当時行われた「疾風怒濤の茨城縦断オフ 2001」のコースにも急遽加えられ好評を博す。但しこの店,単に「うまい」と言う情報だけで,大元の大勝軒のスタイルを理解せずに行くと,その特徴ある麺とスープに面食らうかもしれない。覚悟して行くべし。

利尻@北茨城

遠方の人は間違っても通らないような道路沿いにあり,見つけても情報がなければ躊躇しそうな佇まい。「どんぶり会議」で情報を得てはるばる行ったのだが,思わず顔がほころんでしまった。但しこの店,2001年8月から麺とスープが変わるという情報もある(>2001/08/10の投稿・参照)。

せんり@東多賀

極太と言うより「極厚・幅広」の「せんりつけ麺」に圧倒される。店の外観(垂れ幕の文句)にもこだわりを感じさせ,多賀地区の期待の新店と言うことでどんぶり会議に投稿(>2001/04/02)。自分の中でかなり盛り上がっていたのだが,二度目に行って「せんりしおらーめん」を食べたときには「せんりつけ麺」ほどのインパクトはなかった(>食べ倒し日記2001/04/30 参照)。

大吉@多賀

駅にほど近い裏通りの中華系の店なのだが,年季を感じさせ,つけ麺も独特なものだった。やはりどんぶり会議に投稿する(>2001/04/02)。

まるみ@鹿嶋

「愛の貧乏脱出大作戦」で取り上げられた店。けっこう一時的に流行ってもうまく行かない店が多いが(県内でも「横浜ラーメン@北浦」や閉店した「みそ泉@石岡」等々),この店の場合,客こそ行った時は少なかったが,けっこう特徴がありがんばっていると思う。

黒竜@下妻

どんぶり会議の投稿(2001/03/17)で知った店。外観や内装,接待はどこかチェーン店的なノリがあるが,博多と言うより熊本っぽい感じかな。地域的にも面白い店だと思う。

香月@下館

ラーメン本取材のかなり以前からこの店の情報はあったのだが(1999/09/18 参照),僕自身は遠くて行きそびれていた店。余計なメニューもなく「ラーメン専門店」と言う潔さがあり,ましてや地域配分的に手薄な「県西の店」だったのだから掲載店に入れてもよかったと思う。もっと早く食べていれば・・・。

三大菜飯@友部

友部という場所も,ユニークなキャラのおばちゃんも,その特異な開店の経緯も,すべてラーメン本向きの店である。味のインパクトと言う意味では弱いかもしれないが,こういう健康志向のラーメンというのも面白いと思う。

三四郎@大甕

「松五郎@上水戸」から満を持して2001年6月に独立した期待の新店。技術的には直系なのだから折り紙付きである。県北の「スタミナ」ファンには朗報であろう。

純輝@潮来

「北の味」と言う店名通り「みそ」がメインの店で,その分あまりそそられなくて食べに行かなかったのだが,食べて納得。「とんこつ」の濃厚さを感じることができる,わかりやすい味。僕的には実に好みである。遠方だがまた行って色々試してみたいと思わせる店だ。

太平ラーメン@神栖

地元の人にはすっかり定番化していいる店のようだ。割烹のような外観に,靴を脱いで上がる大広間。それでいてメニューはラーメン中心であり,実に話題にしやすい(人に勧めやすい)店である。今まで情報のなかった鹿行地区・神栖の店というのも魅力的。取材前に食べていれば掲載店に入れたと思う。

【掲載しても良かった店】・・・掲載店との差は無いと言っていい

たつ蔵@水戸・笠原

50号バイパスの南側,新県庁北側の卸売り団地の跡地(?)内にある店で,立地的には不利だと思うが,深夜もけっこうにぎわっている事実が示すとおり,水戸では貴重な背脂系の店。情報としては面白く,最後まで掲載店に入れるか悩んだが,取材時には開店間もなかったこともあり,掲載に踏み切れなかった。僕個人的には麺がもう少し特徴があればなぁとずっと思っている。

大進@ひたちなか

情報を総合すると,この店が「スタミナ発祥の地」と言うことになる「らしい」。「玄海」のオヤジさんがこの店に従業員として働いていたときに「スタミナ」を考案したと言う情報もあるのだが,すべて未確認の情報。ただこの店自体はとても狭い店ながら常連が多く活気がある。

山下家@取手

県南の店の最終的な選出には関わらなかったのでわからないが,「家系」の店で,「わかとら家@取手」との距離が近く,系統的にも重複するので掲載店に漏れたのかな?。僕個人的にはけっこう好みで,県央〜県北にあれば当然掲載されたと思う。

ユウタン@竜ヶ崎

HP開設の頃から県南の店としてはよく話題になっていた店。当然,掲載されてもおかしくない店だったのだが,取材時の諸般の事情により見送られたようだ。そのあたりはどんぶり会議のカメさんの投稿「Re:竜ヶ崎」(2000/12/01)参照。

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 act8 あとがき・これからの茨城のラーメンは・・・

新聞社側の意向により「茨城のうまいラーメン」と言う,実にダイレクトな,ある意味では無難な名前がつけられたものの,この「うまい」と言う表現がくせ者。巻末の座談会にも書いたように,ラーメンというものは極めて色々な形態があり,各々のスタイルの中で正当派〜亜流という分類があるのもまた事実。これに各人各様の好みがあり,また色々なスタイル(味)の経験値の差もある。そして何よりも,その情報を交換しあうのがこれまた曖昧な「言葉」でしかないのだからやっかいなのだ(>『ラーメン論・序論』参照)。誰もがみんな同じ意味で「うまい」なんて言うラーメンは,この世には存在しないのである。僕自身『ラーメン論』などと言って,個人のHPなのをいいことに,開設以来エラそうに色々なコンテンツを書いてきたものの,書けば書くほど言い訳じみて抽象的になっていくのも確かなのだ。

このラーメン本の話を最初に受けた張本人として,一応こうして本になったものの,「これでよかったのか」とまだまだ迷いがあるのもまた事実。だから掲載店につき好評だとホッとして,不評だとあれやこれや言い訳したくなるのだが,個人のHPと違い訂正もフォローもできないのだから歯痒いばかり。やはり,情報不足の茨城にまず「ラーメン本」を作り,「茨城にもこれだけがんばっている店があるんだよ」と問題提起したかったなどと格好いいこと言ってお茶を濁すしかないようだ。

僕自身いつも思っているのだが,こうして茨城のラーメンのサイトを全く何もないところから立ち上げたラーメン好きの人間として,県内の人にも県外の人にも,「茨城のラーメンなんて〜だよ」などと卑下されたり馬鹿にされたりするのは嫌なのだ。そう言うだけだったら,各掲示板とかにネット上の文字表現で発信し,情報交換する意味なんてない。掲載店を実際に食べて,「たいしたことないじゃん」と言うのは誰にでもできる。大切なのはその先。これなら「〜のラーメンの方がうまい」と言う意見がつくならまだ納得できる。そんな意見を是非聞きたい。その情報を共有して,各々がまた食べに行き,その店を支持する人の割合いが増えればより万人が納得するラーメン本ができると思うのだ。たしかに東京の有名ラーメン店を基準にすれば,掲載店のほとんどが東京に行けば並の店と言うことになってしまうのかもしれない。でもそれはしょうがない。茨城のラーメンはこれからなのだ。ラーメン店の人,これからラーメン店を開こうと思っている人が,県内の人気店を意識し,東京の有名ラーメン店も視野に入れて工夫・研究をするようになれば,まさに茨城のラーメンの未来は明るいだろう。大切なのはラーメンに対する「思い」と「研究心」。それを感じさせるような店を探して食べに行き,まずスープを一口,麺をひとすすり,そして「にんまり」・・・これがまさに僕たちラーメン好きの「どんぶり一杯の幸せ」なのだ。(2001/08/20)

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