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「茨城ラーメン本」発刊までのいきさつ (2000/11)

act1  序章
act2  2000年2月17日の茨城新聞社からのメール
act3  2000年6月29日,茨城新聞社から突然電話が
act4  2000年7月7日の茨城新聞社での打ち合わせ
act5  真夏の取材奮闘記その1
act6  真夏の取材奮闘記その2
act7  掲載できなかった店・掲載したかった店
 act8 あとがき・これからの茨城のラーメンは・・・

>>>> 『どんぶり会議』上の 『茨城ラーメン本』統合スレッド』

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 act1 序章

   今でこそ,インターネットでラーメンの情報はいくらでも検索できるが,やはり食べ歩きの基本は「ラーメン本」だ。僕自身,食べ歩きのきっかけになった1978年の「アングル」以来,すべて情報源はラーメン本だった(>「宿題のラーメン・参考文献リスト」参照)。たしかにこの時代,情報の新しさならインターネットだろう。そのために(自分のためにも)このサイトを立ち上げたと言う部分もある。しかし,自分でHPを作っていてよく思うのだが,情報をコンパクトにまとめると言うのはたとえ自分で書いたものであっても,けっこう面倒なものなのである。写真や地図付きのものに至っては不可能に近い。僕の技術ではページを編集しプリンタを駆使したとしても,時間ばかりかかってしまうのだ。それらがすべて記載された本を持ち歩いた方が断然いいに決まっている。「iモード」だの「モバイル」だのと言うこの時代になっても,基本的な情報は『書籍』の方が便利なのである。だって電源が要らないし,すぐ書き込めるし・・・。

昨年(1999年)はいわゆるラーメン本の当たり年だった。「武内本」「石神本」「7人衆」「ご当地ラーメン」等々ネット関係の本が次々と出版される。その勢いは2000年にも続き,「立石本」「続・石神本」等まさに東京・神奈川・埼玉・千葉のラーメン情報は目白押し(>「宿題のラーメン・参考文献リスト」参照)。飽和状態と言っていい。食べるのが追いつかないくらいだ。しかしである,ことわが「茨城」に関しては「ご当地ラーメン」の全国県別リストに「茨城の店」だけ1軒も紹介されていない等,取り残されていた。「ラーメン後進県」などとネット上では囁かれ,ずいぶん悔しい思いをしていたのである。

実は茨城新聞社でも1994年に「今日はラーメンが食べたい」と言う本を出版している。もちろん,僕自身HPこそまだ運営していないものの,当時も「食べ歩き」はしていた(東京が主だったが)。だから,この本を一応買ってもよさそうなものだったのだが,本屋で手にとっては買うのをためらっていた。正直言って「そそられなかった」のだ。掲載店は114店。サイズは大きめでしかも定価は1200円。高いし大きい。それに,水戸近辺で言うなら知ってる店はほぼ掲載されていて,しかも絞られていない感じがした。敢えて購入する必要性を感じなかったのである。でも、県内の出版物と言ったら「茨城新聞社」の刊行物以外あまり思い浮かばない。いつかは茨城の「ラーメン本」を作ってみたい。その場合は発行元は「茨城新聞社」と言うのが,一番信頼性があるよなぁなどと漠然と考えていた。

もちろんそれは『夢』。実現に何の根拠もない『見果てぬ夢』だったのである

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act2  2000年2月17日の茨城新聞社からのメール

2000年(平成12年)2月17日,それは茨城新聞社からの1通のメールから始まった。

「茨城新聞社出版部」名義で内線番号と担当者名が書かれたそのメール。内容は「茨城県内のおいしいと評判のラーメン店を紹介する本を企画しているので,本を出版するにあたって、ぜひとも、水戸黄麺さんの知識と経験でアドバイスなどをいただけないだろうか」というもの。正直言って驚いた。自分がこの「どんぶり一杯の幸せ」を立ち上げて(1999年4月開始),1年にも満たないこの時期に,こんなに早く『夢』が実現するとは・・・。もっともこの時点では自分のお気に入りのラーメン店を「情報」として提供するくらいの考えだった。

電話連絡して欲しいとのことなので,早速連絡。自宅に伺うとのことだったが,ちょうど自宅が改築中だったので,こちらが茨城新聞社を訪ねることにする。自宅からは30分ほどで旧県庁そばの本社に行けるのだ。社屋は県立図書館のそばにあるので,このあたりは高校時代から馴染みが深い。水戸にラーメン食べに行くときも,駅北の店の場合(「えぞっ子@水戸・五軒町」とか)は水府橋を渡って旧県庁・裁判所側に坂をあがり,茨城新聞社の前を通って行くことが多い。でも考えてみれば社屋に入るのは初めてなのだ。受付で担当者の名前を告げ待つことしばし。階段を下りてきた「いかにも新聞記者」と言った男性二人。しかしその目線は僕のことを飛び越えて泳いでいる。僕の背後の正面玄関の方を見ているのだ。つまり僕はそれくらいイメージから外れていたと言うこと。「水戸黄麺」と言う偉そうな名前(?)と,HPのエラそうな文字表現,そして公表している実年齢からもっと年輩の落ち着いた人間を予想していたのかもしれない。ネクタイとかしてね。近寄って名前を名乗ったときのお二人の唖然とした顔は今でも強く印象に残っている。でも,カーキ色のMA-1ジャンパーにジーンズじゃしょうがないか。

ロビーにある応接スペースで名刺交換。出版部副部長のS氏と,メールの主,若いK氏(20代後半?)である。一方僕が差し出したのはネット用に自作した「水戸黄麺」のもの。お二人は困惑顔。そりゃそうだろう,だって「重み」がない。話の内容は以前のラーメン本の続編を出したいというもの。実はこの時期茨城新聞社は「茨城グルメ本舗A・茨城のこだわりのそば」という本を刊行している。しかし横縞のビニールカバーがかけられたその装丁はちょっと古い感じがするもの。内容が「そば」なのだからそれも仕方がないのかもしれない。でも「ラーメン本」は読者層がもっと若い。持参した「石神本」「7人衆本」「ご当地ラーメン」を示しながら,今,店選びの基準はインターネットであり,見た目も華やかでしかも800円前後の本が受け入れられることを力説する。でも反応は今一歩。少なくとも僕はそう感じた。作ろうとしている本の方向性にずれがあったのかもしれない。1時間ほど談笑して連絡先を伝えその日は終わった。「のちほど連絡します」とのことで・・・。

でも,その後しばらく肝心の「連絡」はこなかった。「ちょっと自分の意見を言い過ぎたかなぁ」そう反省しながらも,この話は立ち消えになったものと思い,せっせと自分自身の「食べ歩き」に精を出していた。東京のネット関係の面々を茨城に招いての「どんぶりサミット in TSUKUBA」や「つくばオフ・リターンズ」と言ったオフに参加しながら,いつしか「茨城ラーメン本」のことは諦めていたのである。季節はいつのまにか梅雨に入っていた。

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 act3 2000年6月29日,茨城新聞社から突然電話が

2000年6月29日の茨城新聞社から突然電話が入る。自宅に伺いたいとのこと。「あぁ,あの話はまだ生きていたんだ・・・」。その日の夜,2月に打ち合わせをしたお二人が自宅にやって来た。基本的な骨格はすでに出来上がっているようで,掲載する50店の選定と取材してくれるメンバーの選定を要望される。「寒くなる頃には発刊したい」と言う前提があり,取材はお盆前には完了したいと言う。ずいぶんと急な話だ。時間さえあればじっくりと情報を集め,自分ひとりでもやるつもりだったのだが,1ヶ月間で県内全域はとても不可能だ。それにこの時期仕事も忙しい。その他,装丁(大きさ)・価格等,自分の理想とする「ラーメン本」になっている以上,断る理由はまるでない。当然引き受ける。自宅から勝田のファミレスへ。打ち合わせは深夜まで続いた(世間話がほとんどだったが)。

さて,取材に協力してくれるメンバーを選ばなければならない。まずそれで悩んでしまう。掲示板「どんぶり会議」で,開設当初から情報を寄せてくれているカメ・がんじ〜さん(県南の店はこの方が開拓したと言っていい)と,同じく初期からのメンバーで県北のライムさんのお二方は,年齢がほぼ同じこともあり面識もあるからお願いしやすい。問題はあとどこまでメンバーを広げるかである。カメさんにメールで相談してみる。返事はすぐに来た。その趣旨は「『ラーメン食い尽くし隊』と言うグループを作りその選出したラーメンを紹介すると言う本の主旨から行くと,紹介者は多いほうが良いと思います」だった。以前,彼の食べ歩きメモを見せてもらったことがあるのだが,それは分厚いシステム手帳にびっしりと細かい文字が書き込まれたもの。つまりカメさん自身,県南の店のほとんどは取材なしでも紹介文が書けるくらいデータがそろっていたと思うのだが,その彼がそう言ってくれるのならとメンバーを広げることにする。

県南のメンバー選びは楽だった。まず,つい1週間前に実施したオフ《つくばオフ・リターンズ》に参加してくれた,たべさん,toshiさん,ともりんさんだ。面識があるから安心できる。自分のHP(>「ともりんのラーメン日記」)を持つともりんさんは貴重な(唯一の)女性メンバーだから,『隊』に彩りを添えられる。あと,「どんぶり会議」に熱心に投稿してくれているかずやんさんにもお願いしよう。5月の『どんぶりサミット in TSUKUBA』で好評だった「わかとら家@取手」に太いパイプを持つ(?)まちゃあきさんもそう。彼は東京に転職してしまったのだがこの際がんばってもらわなければ。(あと「楽生@阿見」を紹介してくれたI氏,『どんぶりサミット in TSUKUBA』に参加したB氏にも声をかけたのだが,このお二方は7/7の打ち合わせに参加できず,ほぼその場で担当を振り分けたので結局そのままになってしまった。)

手薄な県西地区についてはこばさんだ。彼は古河地区に強い(>『古河地区のラーメン店情報』)。しかし,彼も現在は転職して横浜にいる。もう一人,県西地区の情報に詳しいkimurakunさんにもお願いすることにする。貴重な県西のラーメンHPの主催者(>「自画自賛」)だから,僕自身面識はないがそうも言っていられないのだ。

問題は県央〜県北地区。今でこそ「どんぶり会議」の県央メンバーも増えたがまだ当時は誰もいない状態。県北もそう。ライムさんの他は,唯一,春頃までよく情報をくれたさとちんさん(>「さとちんのホームページ」主催)にもお願いするしかあるまい。それでも3人。大いなる不安をかかえながらも,とりあえずこのメンバーに「協力要請」のメールを発送する。実に急な話だが,茨城新聞社の希望する「打ち合わせ」はすぐなのだからしょうがない。参加の意志を早く確認しなければならないのである。そのメールの内容は・・・

「・・・(情報を提供し取材までこなすというのは)なんか茨城新聞社の経費節減に協力させられている気もするけど,まぁ僕らはプロじゃないし,この際『自分達がある程度納得のいくラーメン本をまず作ること』が大事かと。僕としてはラーメン後進国茨城に「ラーメン好き」が選ぶ真のラーメン本を作りたいと思っているのです(輝く目・笑)。どうかご協力を。」

賛同のメールが続々届いたのは言うまでもなかった。新聞社&カメさんとのやりとりで第1回目の打ち合わせ(もっとも全員顔を合わせての打ち合わせはこの時だけだった)は直後の週末,7月7日(金)に決定する。本当に急な話だ。しかもその前に候補50店+αを会議資料として作成したいとの要望あり。メンバーにはメールで各々の推薦店を書いてきてくれと伝えたのだが,考えてみればみんながいいと思う店は重複するのであって,それを全部集めてもとても50店にはほど遠かった。しかも僕自身,県南の店はある程度食べ歩いているので(>『県南のラーメン』)だいたいの目星はついているものの,県央の店は僕以外メンバーはほとんど食べていない状態。県東(鹿行地区)に至っては何の情報もない。こんな状態で大丈夫かしらと言う大いなる不安を抱えたままで,「打ち合わせ」の日を迎えることになる。

正直なところ,県央〜県北〜県東に関しては,あと3ヶ月余裕があればもう少し納得のいくものができたのではないかと今も思っている。掲載されている店が不本意だというわけではないが,ラーメンの種類や店の地域の配分を,もう少しバランスよくできたのではないかと思うのである。それくらい,ここからの2ヶ月間はせわしかったのだ・・・。

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 act4 2000年7月7日の茨城新聞社での打ち合わせ

午後8時・小雨の中,旧県庁舎近くの茨城新聞社本社に続々とメンバーが集まってきた。出版部奥の会議室が会場。まずライムさん,続いてさとちんさん。千葉在住のカメさんはtoshiさん,たべさん,かずやんさんと一緒のクルマでやって来た。最後にともりんさんがにぎやかに登場。一方,県西のkimurakunさんは仕事の関係で欠席。東京方面のこばさん,まちゃあきさんもさすがに平日のこの時間では無理だったようだ。急な話だから無理もない。

ところで,しみじみ考えたら,いい年齢をした大人がハンドルネーム(一般的にはニックネームと言うべきか)で呼び合っているのは実に「ヘン」だ。新聞社側から出席したS副部長とK氏が,会議の進行上各自の席の前に名札を作って欲しいという。そこで本名で行くかハンドルで行くか迷ったのだが,結局ハンドルで行くことになる。新聞社のお二人,会議の間中とても言いにくそう(恥ずかしそう?)だった。おそらくこの会議室でこんなにニックネームが飛び交う会議なんて前代未聞なのではないだろうか。そうここはお堅い「新聞社」なのだから・・・。でも,この僕自身メンバーの本名なんてほとんど知らない,そう言う不思議な「関係」なのである。

ホワイトボードを持ち出して,県南の店から候補店を書き出して行くが,考えてみれば「県北」のメンバーは「県南」に疎く,「県南」のメンバーは「県北」の店をほとんど知らない。そもそも,県南の店は僕のHPに掲載されている店(>『県南のラーメン』)を中心に,各自の得意地域で調整すればいい状態だからまだいいが,県北はそうはいかない。新聞社側からの「今日中に掲載店と担当者まで決めて欲しい」と言う要望(僕個人にしてみれば無理な要望だが・・・)で,県南〜県西地区と県央〜県北〜県東地区に分かれて決めることになる。もちろん議論続出。時間は限りなく午前0時に近づいて行く。

それでも県南〜県西は掲載候補店27店と,5人のメンバーに欠席した3人のメンバーを加えて取材の担当まで決めることができた。でも県央〜県北は無理。そもそも茨城新聞自体,県央〜県北に購読者が多く,その地区の店の掲載に対する要望が高い。だが,その県北の店のデータが決定的に不足しているのだ。しかも【県東地区】に至っては情報なし。わずかにカメさんが提供してくれたYahoo!の掲示板の資料があるだけ。水戸近辺の店については僕自身の資料(>『水戸周辺の店食べ倒し日記2000』である程度の目星はつけられるが,いまだ未食の県北〜県東の店との優劣はつけられない。絞りきれないままに時間切れ。もう少し時間をもらうと言うことで打ち合わせを切り上げた。

ちなみに,この時点で話題になっていた店は,掲載店以外では以下の通り。様々な事情により掲載に至らなかった(もしくは取材許可がでなかった)店である。詳しくは act7(掲載できなかった店・掲載したかった店)に書くが,基本的なデータは水戸周辺の店食べ倒し日記2000』にもある。(県南〜県西の店に関しては『県南のラーメン』もしくは『宿題のラーメン・茨城』参照)

【県央地区】(※取材の過程でその後出てきた店もさらにある>act7 

すずき@水戸雷神前えぞっ子@水戸五軒町えぞっ子@東前たつ蔵@水戸笠原謎のラーメン屋(ちゃんぽんや)@水戸下市雲仙@大洗東光台宝来@ひたちなか笹野鳳華@ひたちなか東大島ちょっくら@東海 etc・・・

茨城県内の店・徹底攻略月間 【県東(鹿行)編】』論争
茨城県内の店・徹底攻略月間 【県央編】』論争

【県北地区】(※取材の過程でその後出てきた店もさらにある>act7

いくよ食堂@日立 ロン@高萩 長浜ラーメン@日立 / 打手屋@日立 / 九州ラーメン博多@高萩 バスラーメン@高萩 満久@日立 etc・・・

茨城県内の店・徹底攻略月間 【県北編】』論争

【県南地区】【県西地区】

永楽@つくば / 一発@古河 / きさく@古河 / 大勝らあめん@土浦 / 欅@守谷 / 六國家@土浦 / こみやま@土浦 / ユウタン@竜ヶ崎 etc・・・

>「どんぶり会議」・『県南のラーメン』参照

ちなみに当日の交通費は実費支給。高速代および往復距離数×20円。これはありがたかったが,以後,交通費等の取材の経費はすべて自腹。ラーメン代もそうだ。取材地域は広範囲に及ぶのだから,距離的にも時間的にもこれは苦しい。もちろん1店につきそれなりの原稿料は出るのだが,それは新聞社らしく(?)『高校生の日曜の1日のバイト代』程度。メンバーの中には立場上それさえ辞退した方も多い。つまり,損得勘定ではなく純粋に「自分たちの納得するラーメン本」を作ってみたいという『茨城のラーメンに対する思い』だけで,この本づくりがこの日から開始されたのである。

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 act5 真夏の取材奮闘記 その1

茨城新聞社の意向は「できたら県内全域バランスよく店を選んで欲しい」。「ならばもう少し前から言って欲しいよなぁ」と思いつつも,始まってしまったものはしょうがない。とにかく食べてみなければ。県央地区はある程度固まっているものの,それでもまだまだ気になる「新店」はある。この時点で【県央〜県北〜県東】推薦枠は23(充実している【県南〜県西】に枠を2店分譲った)。それをうまく分配するには気になる店をチェックしておかないことには話にならない。この時期の僕の行動は「水戸周辺の店食べ倒し日記2000」の7月分を見てもらうとわかるように無茶苦茶。自宅での仕事を通常通りこなしつつ,2時間ある昼休みに県北の店をチェック。自宅から片道30km以上の場所(日立とか太田とか・・・御前山まで行ったこともあった)をラーメン1杯のために往復し,更に夜は夜で片道60km以上の鹿嶋〜神栖まで。走行距離は1日で軽く100kmを越え,それが続く。日曜にはさらに遠方の高萩〜北茨城あたりを走り回る。でもまだそれは「取材」ではないのだ。どの店がいいのかという「下調べ」の段階。何の経費も出ない。妻はあきれる,娘達は不思議がる。「夜なのにどこに行くの??」「お仕事!(笑)」・・・。少々そんな自分に疑問は感じつつもある意味では充実していた(?)。

そうして回ってきた店を順次「どんぶり会議」に投稿する。そうすることによってメンバー以外の人の反応を見て,できればさらに新しい店の情報をと思ったのだ。実はこういうスレッドを立てたのは初めてなのである。もともと「どんぶり会議」は県南の店の情報のやりとりが活発で,自分の掲示板でありながら,自分で【県央〜県北〜県東】の店の話題を振ることはあまりなかったのだ(たまに書いてもレスつかなかったし・・・)。

反応はすこぶるよかった。県央地区の新しいメンバーもこの時期から増えたように思う。この方法をもっと早くから採っていれば,少なくとも僕一人で決めるよりは,より客観的な店の選定ができたと思う。僕自身,県北西部(大宮〜山方〜大子)や県東部(鉾田地区等),さらには県央西部(笠間〜下館地区)の店を充分にチェックできなかったことに今も悔いが残っているのだ。発刊決定から推薦店決定までの時間的余裕があまりにも少なかった・・・。これは茨城新聞社の反省すべきところだ。そのあたりは「茨城のうまいラーメン2002年版」に期待しよう(但しその予定は聞いていないが・・・笑)。

どんぶり会議」にこの時期立てたスレッドは以下の通り。各々がかなり長いツリーになっている。取材と並行して行われたこのやりとりと,実際の掲載店を比べてみるのも面白いと思う。

茨城県内の店・徹底攻略月間 【県北編】』論争
茨城県内の店・徹底攻略月間 【県東(鹿行)編】』論争
茨城県内の店・徹底攻略月間 【県央編】』論争

さて,こうして候補店を模索する間にも,掲載決定店の取材そのものは並行して進ませることになっている。そもそも今回の取材の段取りは,7/7の打ち合わせで決まらなかった【県央〜県北〜県東】の店については,まず僕がメールで推薦店リストを送り,順次茨城新聞社が各店に封書と電話で取材申し込みをすると言う形を取っている。許可(店側の承諾)が出れば単身その店に乗り込むことになるわけだ(写真は取材終了後にカメラマンが別口で撮影に行く)。しかし考えてみれば,身分を証明するのは名前の部分が空白になった「茨城新聞社・茨城のラーメン取材班」の名刺のみ(自筆で名前を書き込むとこれがまた安っぽくなるのだ・・・)。当然取材なんて素人だから,電話でアポをとって店に入るとたいていの場合「キョトン」とされる。本来客であるから顔を覚えられている場合もあるから「なんであんたが取材にくるの?」と言う感じだ。実はこのあたりが今回の取材の難しかったところである。県外の方にはわからないと思うが,TVと言うメディアがない茨城県の中でマスコミと言えば「茨城新聞社」が第一人者(特に県央〜県北)。従ってその肩書を背負ってする取材は,ある意味やりやすくもあるが,その責任もまた重いのである。老舗店の年輩の店主・人気店の店主などの場合,「今まで取材は断ってきたけど地元の茨城新聞社なら協力しよう」と言うスタンスが多いのだ。そこに僕のような「ど素人」が行って「取材に来ました」と言っても・・・。

そんな背景の中,途中ちょっとした事件が起きた。あるメンバーが取材の過程でその店のオーナーに,ちょっと高圧的な態度をとられたようだ。店の選定主体と選定基準についてうまく伝わってなかったことが原因らしい。MLでは言外に取材メンバーから降りるようなことも匂わせている。ちょっとこれは問題だ。MLに以下のメールを出した。

「さて****さん,ちょっと行き詰まっているようですね。****の社長にどんな扱いうけたのかMLではちょっとわかりづらいのですが,たしかに僕達の立場って取材する場合,実に中途半端ですよね。あと,茨城新聞社からの封書での取材の趣旨とかは,店の人はたぶんまともに読んでないと思いますね。頭に残るのは「新聞社」と「本に載る」と言うことだけ。インターネットなんて言っても,たぶん正確には自分でパソコンとかいじる人でない限り,ほとんど理解してないと思います。僕も取材であまり横柄な態度をとられたら,もうその店載せるのやめようなんて考えることありますよ(まだそう言う経験はありませんが・・・電話する前のイメージでね)。で,これが現実問題として起こった場合,そもそも今回のラーメン本の趣旨はネットのラーメン好きが選ぶ50店でその店の選択の自由は基本的に僕達にあると考えてください。茨城新聞社の方も,もし店の選択につき苦情が来た場合は「ネットの人が選んだ店なので」と対応すると言う風に理解しております。僕達は営利でこんなことやっているわけではない。僕の最初のお願い「自分達の納得するラーメン本を作りたい」に賛同してくださった皆さんの協力の元に成り立っているものです。しかも僕達はまずそのラーメン店のお客でもあるわけです。****さんが****の担当になった経緯は打ち合わせの時に別々だったのでわからないのですが,****さんがおすすめとして選んだのにもかかわらず不愉快な扱いを受けたのなら,他に強く押す人がいない限り****の掲載は止めましょう。他の店から代わりを選べばいいことです。****(もしくは****)が未掲載になることにそんなに責任感じないでください。僕はこの先の取材店で不愉快な扱いを受けた場合,その場で取材を打ち切ろうと思っています。こちらが社会人として常識的な取材をしているのに「ホントは載せてくれなくてもいいんだけど茨城新聞社だから協力してやっているんだ」みたいな態度は願い下げです。そうまでして宣伝に協力する必要はない。なぜならば店を選択したのは茨城新聞社ではなく僕達だからです。掲載許可を取るのに****さん(=新聞社の担当さん)が苦労した場合には申し訳ないけど,しかたありません。その店が載らなきゃ「茨城のラーメン本」としての価値がなくなるなんて店は茨城ではないと思っています。僕なんか一生懸命選んだ店,ばしばし取材拒否されてますから(笑)。取材の場での横柄な態度も取材拒否と同じでしょう。だから僕は取材の場合,まず「自分はこの店の客でありこの店を紹介したいんだ」と言う自分の意志を明確に相手に伝えるようにしています。それでも失礼な態度をとられるなら,その店のほうに一人一人の客を大切にすると言う意思がないと判断します。よって載せる価値なし。」

ちょっと調子に乗って書きすぎたかなとも思ったが(実際に取材許可の交渉をしているのは茨城新聞社側だし),まもなく茨城新聞社の担当者からもMLにメールが届いた。その趣旨は「店を選択したのは新聞社ではなく皆さんですので、店主に横柄な態度をとられたら、載せる価値なしと判断できるのも皆さんだと思っています。」とのこと。この対応には正直ホッとした。今回のこのラーメン本に何の広告も入っていないことからもわかるように,個々の店の選定(あの店を載せてくれとか載せないでくれとか)について新聞社側から干渉されたことは一度もない。ただ地域のバランスを要望されただけである。そのくらいメンバーが自由な立場で選んだ50店だ。それが本当に客観的かと言われればちょっと答えに窮するが,少なくとも店の選定に変な利害関係はなかったと言える。それだけは言っておきたい。

ちなみに上で問題になった店も,その後円満に意志疎通ができて,無事掲載されたことも報告しておく。

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