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懐かしの有名ラーメン店めぐり

僕の食べ歩きの原点になった2冊の本がある。「angle1978年2月号(昭和53年)angle1979年2月号(昭和54年)」(主婦と生活社)だ。さらにこれに「angle別冊No.32・1987年(昭和62年)」を加えると僕のラーメン3部作(?)となる。日々進歩して,新しいラーメンが次々と出てくる現在において,昔の店を食べ歩いて何になると言われそうだが,「思い入れ」だけで食べ歩くのもまた楽しいものなのである。別項で書いていたものの改訂分をここにまとめて,さらに追加していこうと思っている。(1999.9.1)

 喜楽@渋谷・・・・・・・・・・・・・名店「喜楽」の栄枯盛衰
 さぶちゃん@神保町・・・・・・久々の「さぶちゃん」で感じたこと
 ホープ軒@千駄ヶ谷・・・・・・かつて妻が好きだった「ホープ軒」
 春木屋@荻窪・・・・・・・・・・・当時の「春木屋」に行列はあったのか
 桂花@新宿・・・・・・・・・・・・・「桂花@新宿」が今も存在すると言うこと
 ラーメン二郎@三田・・・・・・20年振りの「ラーメン二郎」の静かなおやじ
 a亭@下北沢・・・・・・・・・・・テレビに出ていた「江戸っ子ラーメンa亭」
 大勝軒@永福町・・・・・・・・・20年前も並んで待った「大勝軒」
 福寿@笹塚・・・・・・・・・・・・・往年の名店「福寿@笹塚」のこだわりとは
 永楽@大井町・・・・・・・・・・・「永楽」にかつての「喜楽」を見た
 光江@下谷・・・・・・・・・・・・・祭りと「光江」と大相撲  
 大勝軒@東池袋・・・・・・・・・昔も今も大行列の伝説の名店 
 こうや@四谷・・・・・・・・・・・・四谷裏通りの知る人ぞ知る「ワンタンメン」

 伊峡@神保町・・・・・・・・・・・神保町にあった二つの「伊峡」
 三五郎@小岩・・・・・・・・・・・遅れてきた小岩の「有名店」
 満月@赤羽・・・・・・・・・・・・・「満月@赤羽」と「暖宝@ひたちなか」の意外な関係
 利しり@新宿・・・・・・・・・・・・20年目の激辛「オロチョン」
 若月@新宿・・・・・・・・・・・・・「思い出横丁」の400円の手打ちラーメン
 中華徳大@荻窪・・・・・・・・・25年目にブレイクした荻窪駅南口の名店
 蒙古タンメン中本@上板橋・・・「新しい老舗店」で復活した往年の「激辛麺」
 来集軒@浅草・・・・・・・・・・・「東京ラーメン」とはこの店のラーメンだと思う
 たいめいけん@日本橋・・・・「老舗洋食屋」の良心的ラーメン

  伊峡@神保町 : 千代田区神田神保町1-4 日祝休 11〜15/15:30〜19:30 <醤油>

神保町にあった二つの「伊峡」

神田駿河台の明大下の神保町界隈には,僕の青春が詰まっている。夏目漱石の母校という錦華小学校の向こうの,何でもない路地を入っていくと,学生相手の飲食店がひしめき合っているのだ。天丼,天ぷら,とんかつの「いもや」(それぞれ分かれて店がある),ちょっとおしゃれ(当時の僕にとってだが)な「キッチン・ジロー」,居酒屋の「庄や」(昼時にランチがある),人生劇場と言う名前のパチンコ店に向かう角にある安いカレー店(名前忘れた,というか覚えてない。でも今もある)・・・昭和50年代中頃,みんなお世話になった店ばかりである。そんな界隈の角地に今も昔も「伊峡」はある。もちろん,その当時からラーメンは好きで食べ歩いてはいたのだが,ちょっと歩いて「さぶちゃん」「あかしや」に行くことがあっても,この角の伊峡で意識してラーメンを食べた覚えはない。当時,さして話題にならなかった店なのだ。むしろ,対角線上に何故かもう1軒あった「伊峡」によく通っていた。両店の関係はわからないのだが,もう1軒の「伊峡」の「レバニラ炒め」がクセになっていたのである。学食にはない「レバー」料理で体力つけようということだったのだろう。こちらは奥に細長いカウンターの店,小柄で太った,黒縁眼鏡の年配の主人がいつも作っていた。特別愛想がいいわけでもなかったが,がんこ親父というわけでもない。なんとなく安心できる店だった。学生時代,僕にとっての「伊峡」は,むしろこちらの方だったのだ。しかし,その店は今はもうない。見知らぬラーメン店になっている。

一方の角の「伊峡」(こちらが本店なのだろう)が,1987年(昭和62年)の別冊angle・No32(主婦の生活社)で「正統派醤油味の店」として紹介されているのを見たときは正直言って驚いた。よく知っていただけに「伊峡」ってそう言う店なんだと初めて意識したのである。しかし後の祭り,日祝休のこの店には,茨城に帰郷した僕は,仕事の関係でなかなか行けなくなっていた。実は,7〜8年前に一度食べたことがあるのだが,学生時代に食べて感じたのと同じように「平凡な味」という感想を持っている。ところが,最近購入した「TVチャンピオン」のお二人(武内氏・石神氏)のラーメン本のなかにも,軒並みかつての有名店が脱落していく中でしぶとく「伊峡」は残っていた。だからますます気になっていたのである。

土曜の午後4時近く,久々に入店。若かった店主もいい年配である。若い助手(弟子?)が二人いた。半チャンラーメンにも魅力を感じたが,量が多そうなので,ラーメン・380円を注文する。あっという間(1分もかからなかったのではないか)に出てきた。青い縁の白どんぶりにしっかり醤油色のスープ,濃いめの色のメンマと雰囲気は「さぶちゃん」と同じ。というか「さぶちゃん」は「伊峡」の先代の弟子にあたるそうだから,こちらがオリジナルと言うべきか。味の方はと言うと先日久々に食べた「さぶちゃん」は,初めて「しょっぱい」と感じたのに,今日の伊峡はなんかとても薄味,中細で固めのストレート麺で食べていくと,なんか日本そばを食べているような感じになってしまった。多分に,直前に食べた「おもだかや」の濃厚ダシの影響が,僕の味覚に強く残っていたからだと思うのだ。不本意ながら少し残してしまった。何となく申し訳なくて,どんぶりをカウンターの上に上げて「ごちそうさま」って足早に出たのだが,店を出て数歩のところで会計してないことに気付き,あわてて戻るというおまけまでついてしまった。また僕の中での「伊峡@神保町」の評価が中途半端になってしまったのである。(1999.8.28

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  三五郎@小岩 : 江戸川区南小岩6-30-6 水休 11〜20 <醤油>

遅れてきた小岩の「有名店」

小岩の表通りから狭い路地を入ったところにある,日本全国どこにでもありそうななんてことのない外観の店。開店して30年以上になるらしいが,この「懐かしの有名店」の項に書いてはみたものの,僕自身最近になって耳にするようになった店だ。ひょっとしてと思い1987年のangle別冊「全国版究極のラーメン屋さん・全609」も調べてみたのだが載ってはいなかった。おそらく,武内伸氏が「何回もいきたくなるラーメン店100」(1999.3・講談社)の中で紹介したのが初めてだと思う。白い暖簾をくぐり店内に入ると,まさに「ぎゅうぎゅうづめ」。カウンターに5席,4人がけテーブルが2台だが目一杯である。カウンターに座ったのだが,きっぷのいいおかみさんが後ろを通るたび体が触る。「ごめんなさいね」・・・おしゃべり好きそうな下町のおかみさんである。調理場も狭く,中の店主はかなりの年配。こういう店ではいかにもといった「頑固おやじ」がいそうだが,意外にやさしげな小柄な店主である。顔を見てるだけでもあきない,味のある「おじいさん」なのだ。ラーメン・500円を注文。スープは典型的な醤油色,少し油が浮いている。上澄みをレンゲですくって飲んでみる。油そのものに味はないようだ。麺はやや太目の縮れ麺。少し透き通っている。ツルツルしていてスープとのからみはよくないみたい。何度もかきまぜてみる。スープを底からすくって飲んでみると,けっこう濃い「煮干し」味。フンフンと言いながら飲みきってしまった。フチの茶色いチャーシュー,しっかり味付けされたメンマ,それにほうれん草・・・押しも押されぬ典型的な「ラーメン」である。調理場わきの窓の外では,近所のおばさんがお盆を持ってチャーハンを待っていた。「土曜休みだったんじゃない」「親戚の法事があってねぇ,ごめんなさい」。カウンターの馴染みの青年に「次つくるから,ボクはちょっと待っててねぇ」・・・地元にしっかりと根付いた小岩の「名店」である。ボクの世代にすれば,とてつもなく懐かしいほっとできる店だ。近くにあったら「常駐」したいと言った方がいた。その気持ちはよくわかる。チャーハンなんてうまそうだ。とろりとした半熟玉子もおすすめらしい。カウンターの上に500円玉をおき「ごちそうさま」と言って外に出ると6〜7人の行列ができていた。(1999.9.26

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 満月@赤羽 : 北区赤羽2-4-5 月休 11:30〜15/17〜20(日 11:30〜20)

「満月@赤羽」と「暖宝@ひたちなか」の意外な関係

『石神氏の「2000年ラーメン王」を読んでいて,孟宗竹で麺を打つ「手打ラーメン満月@赤羽」の御主人の修行先が 「暖宝@ひたちなか」になっているのを発見した』と言う情報を「どんぶり会議・99/12/18」でいただいた。満月のオープンが昭和48年だから、「暖宝」も結構老舗ということになる。これは初耳だった。灯台下暗しといったところか。「満月」自体,僕が東京にいる頃に 「手打ちラーメンといえばここ」という感じで有名だったから,そのまた修行先とは歴史を感じる。「今の暖宝は 2代目なのではないか」とも考えたが,情報によると実の「兄弟関係」だそうである。いずれにせよ僕の食べ歩きの歴史をを超えた話だ。さっそく,その満月を久々に(15年ぶりくらいか)訪ねてみる。クリスマスも過ぎた年末最後の日曜日。赤羽駅東口の,人でごった返す商店街(すずらん通り)からひとつ南側に路地を入った,ダイエーの裏側の静かな通りにこの店はある。以前来た時はもっとにぎやかだった気もするが・・・。店前にベンチのある,照明にも凝ったひと昔前のしゃれた造り。店内も同様。右に調理場とカウンター。家族連れが多いのだろう,左側にテーブルが多数。ちょっと迷ったが,その手前の10人がけの大きな木製テーブルに着席する。メニューは多彩だが,今日は(マスコミ上の)看板メニュー「ベーコンラーメン・800円」を注文する。店主の娘さんの中学生が考案したと,昔から有名だ(と言うことはその娘さんも十分大人になっているのだろうが・・・)。運ばれてきたそれは,白菜・バラ肉(厚め)・タマネギ・ベーコンのあんかけがかかった,というかスープ全部があん状態のとろみのついたもの。ちょっとスープの味がどうのこうのと言えるタイプのものではない。麺自体はいかにも手打ちと言う感じの「不ぞろい」で 薄目(半透明)の手打ちうどんといった風合。きりっと醤油味のスープで食べてみたくなる麺だ。以前食べたときの印象で言えば,典型的なすっきりした醤油味だったように思う。そういう意味では「暖宝@ひたちなか」と同様である。壁にTV出演の時のスナップが何枚も飾ってあった。平成初頭の頃から毎年のように。でもここ2〜3年分はなかった。現代のようなラーメンブームにおいては,この「満月」は十分「老舗」の安定店になってしまったのかもしれない。(1999.12.26) 

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 利しり@新宿 : 新宿区歌舞伎町2-27-7 日祝休 18〜翌4:45

20年目の激辛「オロチョン」

久々の土曜夜の新宿歌舞伎町を奥へ奥へと進む。1977年開店というこの店は,1987年の「別冊angle究極のラーメン屋さん全609」には「ニューウェーブラーメン」として紹介されていた。激辛の「オロチョンラーメン」が当時から有名で,すっかり食べた気になっていたが,この店に来た覚えがない。未食だったことに着いて初めて気がついた。「日高」あたりと記憶が重複していたのかもしれない。その「オロチョン」(アイヌ語で勇者の意だそうだ)は1000円。高い。でも1987年当時も800円で,もともと値段設定が高かったようだ。店の内外は和風。割烹料理屋に間違えそうなくらい。四角い行燈がぶら下がり,椅子も蕎麦屋風の四角い椅子。入り口前の衝立の向こうに凹型のカウンター,左側にテーブル席。調理場では年配の職人が3〜4人。若い職人がいない。それなりの歴史を感じる店である。さてそのオロチョンだが,真っ赤なスープにピーマン・肉等を軽く炒めた「具」がのっている。あとメンマ。だしのきいたスープを「唐辛子・ブラックペッパー・山椒等12種類のスパイス」で仕上げたというそれはたしかに「辛い」。しかもじわじわとくる辛さ。僕は「激辛」の系統はあまり食べないのだが,ここの辛さは質がいい。ただ辛いだけではないのだ。深みのある辛さ。少したってから目の周りに汗をかいてきた。もちろん基本となる麺もぷりぷりしていて食感がいい。さすがにスープを飲み切ることはできなかったが,外観どおり,歴史と職人的「こだわり」を感じる店である。(1999.11.6

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 若月@新宿 : 新宿区西新宿1-2-7 思い出横丁内 日休 10〜翌1

「思い出横丁」の手打ちラーメン

西新宿の大ガード下そばの一角,「思い出横丁」の中の店。何となく「危険な香り」がして,学生時代(とはいえ20年前)は寄りつかなかったのだが,この年になると抵抗はない。横丁の入り口が焼けてるのはこのあいだの昼火事のせい。ニュースで知って心配したが,なんとか持ちこたえたみたいだ。うれしい。こんな東京のど真ん中に,こんな昔のまんまの一角がある。そこに価値があると思う。なくすわけにはいかない。20年前の「新宿」を感じさせる貴重な空間だからだ。横丁のど真ん中の奥に「共同便所」もあるから・・・。ガード下側から路地を入って,中ほどのビニール幕でおおってる店の前へ。奥へ続く1直線のカウンターのみの店内は奥まで満席だ。「どうぞ中に〜」。ちょっと迷ってたら中から呼ばれてしまった。入らないわけにはいかないだろう。ラーメンは400円。いまどきこの値段は泣ける。2階で打ってるってという麺は,いかにも「手打ち」。これでもかというくらい不揃いだ。しかも固め。スープは・・・みごとなくらい深みのない醤油色のスープ。それにほんとに小さなチャーシューに,味の薄い「自家製メンマ」等々・・・。まぁいいか,そもそも400円なのだ。典型的な「飲んだ後の一杯」というスタンスなんだろう。「ソース焼きそば(なんと350円)」のほうがうまそうだったと言っておこう。麺がこの店のすべてなんだと思う。柱の「衛生責任者」の札の名前が「若月」だった。この洒落た名前は名字だったのだ。店主の年代から予測すると「2代目」なのかもしれない。僕自身この店には懐かしい思い出といったものはないのだが,この界隈にお世話になった人たちにとっては味云々ではなく価値のあるラーメン店なんだと思う。そういう「懐かしの名店」。(00.02.11)

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 中華徳大@荻窪 : 杉並区荻窪5-13-6 日祝休 11:30〜14/17:30〜21 <醤油>

25年目にブレイクした荻窪駅南口の名店

創業1974年の老舗らしいのだが,1999年の「石神本」で紹介されるまでその存在を僕は知らなかった。「ラーメン王」から「ラーメン伝説」に本の内容(掲載店)が変わってもこの店は掲載され続けていたので,ずっと気になっていたのだが,日祝休のためなかなか食べに行けなかった。荻窪駅南側の環八寄りのこの店,有名店がひしめく北口から比べるとたしかに目立たない一帯である。僕自身「丸長@荻窪」くらいしか南口の店は印象にない。閉店間際(午後8時半過ぎ)で店内は満席。壁際には待ち客が3〜4人といったところ。低いカウンターに囲まれた調理場はすべてが丸見え。中華コック帽の年輩の店主におかみさん,てきぱき店を仕切っているのは娘さんのようだ。若い男の人は息子さんだろうか。つまり親子でがんばる店?煮干し系のスープにたっぷりの油で,昔懐かしい感じでありながら,今風のこってり感がある。このスタイルは昔からなのだろうか。だとすれば「青葉@中野」とかのスタイルの原点がすでに30年前からここにあったと言うことになる。麺は固めの縮れ麺でスープにぴったり合う。軽く炒めたようなしゃきしゃきもやしも心地よい。小ぶりだが脂身を削ぎ落とした無駄のないチャーシューが2枚。あとメンマに小さな海苔。食べながら顔がほころんでしまった。無駄のない動きの活気ある店内。どっちの料理ショー出演メニューとわざわざ木札に書いてあるのはご愛嬌かな(いつ出たんだろう)。ご飯類の定食もボリューム感があってそそられる。ラーメン好きでなくても近所にあったら通いたい店である。こんな店が昔からあったのか・・・・。20年以上荻窪には何度も来ているのに今まで気がつかなかったことを後悔する。客の半分以上が注文していた各種チャーハンが実にうまそうで,値段は800円前後だったがそれも納得の見た目だった。半ラーメンとチャーハンのセットなんか,とてもそそられるメニューである。是非家族で来て色々なメニューを試してみたい店だが,日祝休というのが実に残念。でもいつかまた来たい。絶対に妻や娘は喜ぶと思う。(2001/06/23 

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 蒙古タンメン中本@上板橋 : 板橋区桜川3-5-1 無休 平日10:40〜24・土祝10:10〜・日曜10:10〜19:30

「新しい老舗店」で復活した往年の「激辛麺」 

どんぶり会議でも最近話題になったが(2001/08/24),僕の場合,昔も最近も未食の店。過去の本を調べたら昭和62年の「angle・別冊」(>「1987年の『別冊angle・全国版・究極のラーメン屋さん全609』に載っていた店」の項参照)には「ニューウエーブラーメン」の「激辛麺」の項に「利尻@新宿」「ひょっとこ@恵比寿」と並んで掲載されていた。昔から有名だったようだが僕自身は記憶にない。実はこの店,先代が閉店させた店を熱烈なファン(=現店主)が復活させた(1998年)そうだ。旧住所は「桜川3-19-3」になっているから,同町内で移転して再開したことになる。最近になって「TVチャンピオン」や各ラーメン本で話題になり,「新しい老舗」として,「懐かし系のラーメン」が好きな僕としては,ずっと気になっていた。しかしこの店は「日休」,なかなか食べる機会がないままでいたわけである。で,先月の「とらさん会議室」(>東京のラーメン屋さん(とらさん)参照)で「9月21日までは日曜も営業する」という情報を得る。この機会を逃すまいと8月からずっと狙っていたわけである。川越街道「桜川3」交差点のひとつ南の信号を西に折れてすぐ右側,遠目にも目立つ赤い外壁と異様な行列。見つけるのは簡単だった。午後4時くらいで20人ほどの行列。歩道が狭く歩行者に気を遣うが,回転はけっこういい方だと思う。20分ほどで店内へ。テーブル席は右端に寄せられ中央に空間があり,そこで食券を買ってフロア係の男性に渡す。ここでも少し待つことになる。外の行列を減らす目的なのだろう。ほどなく左側のカウンター席へ。ガラスできっちり仕切られた調理場内には紅い布を頭に巻いた若者ばかり。黒づくめ服装でTシャツの背中にはなぜか「誠」の字。雑誌で見た店長さんは見えなかったが,仕事にだらけた感じがないので好感が持てる。活気があるのだ。蒙古タンメン(570円)は味噌タンメン(550円)にマーボーをかけたものだそうで,値段的にはお得な感じ。「サービス品」と券売機に書いてあるもの。で,その味だが,ひたすら熱くて,見た目のまんまひたすら辛い辛い・・・。唇がひりひりしてくる。TVチャンピオンでやっていたような「早喰い」なんて絶対無理だ。麺はちょっとやそっとじゃのびそうもないストレートの「太麺」。茹でて軽く湯切りして丼にあけ,脇の寸胴鍋から野菜ごと「みそ汁状態」で入っているスープをかけ,最後にお玉で豆腐の入ったマーボーをかけて出来上がり。作りおきでお手軽な感じだが,野菜はそれほどくずれていなかったから,普通のタンメン程度の感じ。注文を受けてその都度作る訳ではないようだが,この人数ではこの方法もしかたないのかもしれない。卓上には大型容器に入ったトウガラシ。これでもかと言った感じの「辛さ」の演出だ。辛いだけのラーメンは元々苦手なのだが,この店の味はクセになる。気に入った。行列も納得。家族連れも多かったから,今度は家族で来てみたい。つけ麺スタイルの「冷やし味噌ラーメン(550円)」なんて,実にそそられる。問題の営業時間だが,入口に貼り紙があって『平日10:40〜24・土祝10:10〜24・日曜10:10〜19:30 (9/3より変更)』となっていた。今月から無休になるようだ。クルマで行くと川越街道から曲がってすぐの場所だが,駐車は絶対に無理な場所。店の前の道を100mほど行くと練馬区になり,そこに「城北中央公園」の駐車場がある。1時間200円・以後30分100円でとめらる(たしか24h利用可)ので参考までに。(1999/09/02

蒙古タンメン中本@西池袋・・・池袋にできた初の支店

2003年1月5日

さてもう一杯はガラッと変わって「蒙古タンメン中本@上板橋」。もちろん激辛の店であることは承知の上で,家族で食べに行って妻と娘2人がどういう反応を示すか見てみたかったからだ(←悪趣味)。近くの公園の駐車場にクルマをとめて,並んで待つこと20分ほど。注文したのは「 蒙古タンメン」(620円)「冷やし味噌」(620円)に辛くて食べられなかった場合に備えて「中華丼」(700円)を。結果は惨敗。けっこう辛いものは食べる小5の娘も「冷やし味噌」には一口でノックアウト(そりゃそうだ)。店を出て「また来ような〜」と言ったら顔をしかめられた(笑)。「女子供には『蒙古タンメン』は喰わせるな」かな?もっとも,今日の出来はちょっとイマイチだったような。「辛いけどうまい!!」と言う初回の感動が薄れた。ただ辛いだけと言うイメージ。麺ものびぎみで,しかもくっついていたし。営業時間が大幅に延びて今は午前2時まで営業しているようだからかなぁ。客の回転も以前より悪くなった印象だ。この店,四方の壁一面に今まで掲載された雑誌が飾ってあるのだが,1987年(昭和62年)の別冊「angle」・「全国版・究極のラーメン屋さん 全609」まであったことには感激した(右奥の壁)。懐かしい・・・今も持っているけど(笑)。

>『拉麺徒然草2003家族で『蒙古タンメン』を!!

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 来集軒@浅草:台東区西浅草2-26-3 火休 12〜19 <03-3844-7409>

「東京ラーメン」とはこの店のラーメンだと思う

2001年12月24日

HP開設時(1999/04/08)に「東京の麺」と言うコンテンツを作り,「お気に入りの店BEST5」に入れておきながら,実際に来るのはずいぶんと久しぶりである。日曜の昼過ぎで店内は満席。メガネも曇る熱気。家族で4杯頼むのだが,ラーメン(550円)はいいとしてあとは何が良いだろう。台湾メン(750円)を注文するも,「焼きそばですが」と言われ取りやめる。もやしそば(750円)も「あんかけ」だと言うのでそそられない。結局ラーメン3杯にタンメン(750円)を1杯ということに。気が短そうな二人のおばちゃんは昔から相変わらずだ。ぐずぐずしていると怒られそう。テーブル5台に,左奥の半円型テーブル(5人掛け)が1台。壁には落語家の色紙が並ぶのが浅草らしい。2000/09付で「ラ博」の武内さんの色紙があったのは意外だった(新しいから)。麺は固めの平細縮れ麺。野菜の甘味のある濃いめの味のスープは,キラリと油の浮いたしっかり醤油色。そのまま飲むと今の時代では単純な味にも思う。旨味もそれなりに強い。ただ麺との絡みでは丁度良く,勢い良く食べられる。これに味のしみた自家製(鍋で煮たものがあった)メンマが実によく合う。「チャーシュー喰いたきゃチャーシューメンを頼みな」とでも言いたげな脂身のない小さなチャーシュー。粗めの小口切りの太めのネギもちょうどいいし,小さな四角の海苔も粋だ。青い雷文で縁取られた白い丼に実によく映える。やはり「これが東京のラーメン」とでも言うべき勢いがあると思うのだ。この店に来るとホッとできる。「タンメン」はモヤシ&白菜メインのよくあるものだが,麺が心地良い食感だからいい感じ。今度はこの麺でソース焼きそばを食べてみたいと思った。

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 たいめいけん@日本橋:中央区日本橋1-12-10 無休 11〜21(日祝〜20:30)<03-3271-2463〜5>

「老舗洋食屋」の良心的ラーメン

2002年6月23日

「angle」の1979年2月号追加分に掲載されていた(と思う)店で,当然,その当時食べに行ったのだが,ラーメンの印象が薄かったのだろう,今一歩記憶がぼんやりしている。でも,基本的に「洋食店」だから,家族でのラーメン食べ歩きに変化をつける『隠し球』としてずっと温めていた(笑)。店内は4人テーブルが17台ほどぎっちり並び,日曜の夜の閉店間際でも当然の如く満席。年輩の客が多い印象。注文をとるマネージャーがせわしく動き,かつ妙に丁寧なので『日本橋の老舗』という雰囲気を演出している。店そのものは優雅とかゆったりとかの雰囲気はなく,庶民的で敷居が高い感じはしない。注文した品が出てくるのも異様に早かったのが印象的。ここのラーメンは縁が鮮やかに赤いチャーシューにストレート麺。スープは甘い油に肉系の味。老舗洋食屋のラーメンとしては出色だとは思うが,現在の話題のラーメンと比較すれば特に語るべきアドバンテージはないと思う。ただ高めの値段設定のメニューが並ぶ品目の中では,650円という値段設定はとてもありがたい。他に「味噌ラーメン」「バターラーメン」からなんと「オックステールラーメン」(1850円!)まであるのだが,さすがにこういう店に家族で来てラーメンばかりではもったいないだろう。定番も注文しようと,オムライス(1650円!!)もオーダー。あとハヤシライス(1850円)にカレーライス(650円)も。50円と言う異様に安い値段設定のボルシチとコールスローも注文。自家製のライ麦パン(400円)も追加。さすがに「オムライス」は普通の店のそれとは一線を画すものだと思うが,値段なりの満足感があったかと言えば微妙なところ。カレーに至っては「ママがつくるカレーと変わらない」とまで娘達が言う始末(妻・にんまり)。この店,ラーメン的には「ますたにラーメン」の向かい側にあり,通り沿いには「九州じゃんがら」もあるので,けっこうなラーメン激戦区なのだが,完全に客層は違うだろう。今の時代では,ラーメン目的でこの店に入るのは我が家くらいなもの?。今はラーメン「も」食べられる老舗洋食店と言う位置づけだと思う。

たいめいけんのHPがある


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