● さぶちゃん@神保町
千代田区神田神保町2-24 日祝休 11:30〜15/16:20〜19
■ 神保町の「さぶちゃん」はやっぱりさぶちゃんの店(1999/04)
神保町の路地裏にある名店。昭和40年代はじめに半ちゃんラーメン(ラーメンと半炒飯のセット)を始めた店といわれる。なんと調理場も含めて3帖間位の店内に7席の朱色のカウンター。1978年当時から行列は当たり前だった。鰹節のきいた濃い醤油味のスープと固ゆでの麺,ぱらりとはしてないが玉子のからまった炒飯の組み合わせはまさに絶品だった。当時それが400円くらいだったと思う。客を4人と3人に分けて次々にさばいていく。行列の人数を数え,「次の次の次だな」なんて考えながら待っていた。ラーメンがきたら店主の視線も感じるからとにかく一生懸命食べなければならない。でも幸せだった。しかしここは日祝休の店。夜も7時位で閉まってしまう。茨城に1983年に帰郷してからは平日に上京できないため,なかなか食べられないでいた。
しかし2年ほど前(1997年),土曜日に家族で上京する機会があって,妻と当時5才の娘を連れて久々に訪れた。10年ぶりくらいだった。この3人で妻が半ちゃんラーメンを3つ頼むと,さぶちゃんが「多いんじゃないの」と渋い顔。小柄な妻と5才の子供ではきっともてあます。いつまでも食べ終わらないのも嫌だし,残されたくもないということだろう。それでもいいと頼むとしぶしぶつくりはじめた。しかし我が家はラーメン家族。2才の頃から食べ歩きにつきあわされている娘は旨いラーメンは残さない。あっという間に食べてしまい,妻と娘は「少し食べてあげるよ」「食べられる」なんて言ってる始末。これにはさぶちゃんも納得したらしく,帰りは上機嫌。「お嬢ちゃん,いくつかな」なんて言っていた。いい思い出になった。
さて肝心の味の方だが,変わっていなかった。20年前と変わらない。店も丼も白黒テレビの位置も,そしてやさしげな助手の男の人も・・・あの二人はどういう関係なのだろう。昔も今も謎である。(1999.4)
■ 「久々のさぶちゃんで感じたこと」(1999/05/01)
ジャンボさんの「ラーメン情報交換室」でさぶちゃんのラーメンはしょっぱくて食べられないと言う意見が出ていた。僕自身そう感じたことは昔も今もなかったので不思議に思っていた。確かに濃いが,好みの問題としても「食べられない」というほどのことはなかったと思うのである。しかし,20年前にも博多出身の友人が「しょっぱくて食べられない」と言っていた記憶はある。昔からある味のバラツキの問題かもしれない。
いずれにせよもう一度食べたくなり,妻と並ぶ。2年ぶりである。それにしてもさぶちゃんはすごい。はしから炎が吹き出す中華鍋をなんと素手でもって炒飯を作っている。ラードの固まりを入れ油をなじませ,塩と調味料(?)も竹べらでバッバッと無雑作に入れていく。今では珍しい木製の「おひつ」から特大のしゃもじでご飯を山のように鍋に放り込む。あれで全体に味が均等になじむのかと心配してしまうが,火力と技術なのであろう。片手でふられる中華鍋の上で大量のご飯が宙に舞い,全体に玉子が絡んださぶちゃんのチャーハンができあがるのだ。
そんなさぶちゃんの横顔を見ている。さぶちゃんも20年前と変わっていないようで,背中も丸くなり頭には白い物が目立つようになった。老けたのかなあと汗の噴き出す団子鼻(見事なくらい丸い鼻なのだ)を見ていると,「久しぶりだねえ。昔より太ったからわからなかったよ。もっとも太ったと言われるのはいやかなあ」と声をかけてくれた。これにはびっくりした。通っていたのは20年前,でも口なんてきいたことは一度もない。いつも「半チャンラーメン」と言ってただけなのである。しかも茨城に帰郷してからは日祝休のこの店には15年間で2,3回行った位なのだ。さぶちゃんは寡黙な人である。客と談笑しながら作っているという記憶はあまりない。そのさぶちゃんが自分を覚えていてくれた。それがうれしかった。気の利いた答えができなかった自分が悔しかった。
さてそんな舞い上がった状態で食べたラーメンなのだがこれが実にしょっぱかった。20年間食べて初めて感じたしょっぱさである。チャーシューもメンマもしょっぱい。スープも残したくらいだ。最初にこれを食べたら「食べられない」と言う人の気持ちも分かる。その日の味のバラツキかというとそれだけではなくて,妻のスープを飲んでみたら少しましだった。どんぶりによってもバラツキがあるということか。
あの狭い店の中でさぶちゃんはラーメンを作り続けてきた。同じ調子で「いらっしゃいませ。ありがとうございます」と言い続けてきた。風貌には似合わぬ丁寧な言い方で,である。汗もかくだろう。子供の頃読んだ「包丁人・味平」(だったと思う)と言う漫画の中で「汗をかく職人の作る料理はどうしてもその塩分の不足からしょっぱくなる」と描かれていたことを思い出す。さぶちゃんもそれがたまにあるのかもしれない。ラーメン好きの友人が「当たり外れを数こなして一定の味のイメージを客が作り、それが癖になるというパターンの店がある」と表現した。ぼくにとってさぶちゃんがそうなのだろう。今日しょっぱかったからって,また行きたくなることにかわりはない。いいときの味のイメージはできてるし,今日こんなにしょっぱかったとしても僕にとっては許容範囲なのである。そもそもあんな狭い店なのだ。客が増えすぎても困るだろう。味にバラツキがあってもそれを許して通う人だけで充分なのかもしれない。やっぱり「さぶちゃん」はさぶちゃんの店なのである。いつまでも元気にがんばって欲しい。(1999.5.1)
■ 久しぶりの「二郎@三田」&「さぶちゃん@神保町」にて・・・(2001/08/25)
久しぶりに土曜に上京。まず「二郎@三田」の行列に並び(>「食べ歩き日記・2001/08/25」参照),今日は「懐かし系ラーメン」連食だとこの「さぶちゃん」に。ここもまた20年前と変わらぬ行列だ。キッチングランの奥に昔と同じ方向に並ぶ行列を見つけ,思わず顔がほころぶ。向かいにある,いかにもという黒い扉の喫茶店(スナック?)もむかしのまんま。この風景の懐かしさだけでも来た甲斐がある。U首の白シャツに半ズボン,そして長靴姿のさぶちゃんがふらっと店から出てきた。ちょっと緊張する。実は2年ほど前に久しぶりに来たとき(1999/05/01)に,意外にも顔を覚えられていて(>「久々のさぶちゃんで感じたこと」)感慨深いものがあったのだが,それでも僕程度の「かつての常連」(20年前は「週」1〜2回だが,その後は「20年間」で3〜4回しか行ってない)はいくらでもいるだろうし,それで馴れ馴れしくはできないよなと,目を伏せていた(またも2年ぶりだし・・・)。
15分ほどで店内へ。左手前の端の席,さぶちゃんの手元までしっかり見えるお気に入りの席だ。注文は「半チャンラーメン」,さぶちゃんがじろっとこちらを見たのを感じた。そしてラーメンを差し出すとき,さぶちゃんが低い声で
「しばらくだね」
・・・まだ覚えられている(汗)。ちょっとあせる。だって今日は(今日も?)二郎からの2時間空きの連食。ちゃんと食べきれるか不安があったのだ。しかし「半チャン」は食べたい・・・。この機会に食べなければ,次に食べられるのは僕の場合,また数年後になりそうなのだ。必死で食べた。ラーメンは意外にすんなり入ったものの,チャーハンでてこずる。元々ここのチャーハンは「しっとり」したタイプのものなのだが,この日はそれがさらに加速して「べったり」(笑)。味も濃いめだったし・・・。でも,そんな今日の状態をあれこれ考えながら食べるのが,またうれしかったりして・・・。
汗をかきかき苦労して食べていると,さすがにそれを見かねたのか
「無理して食べなくていいよ〜」とさぶちゃんがにやっと笑う。ラーメンだけのとなりの客は食べ終わってしまっていたし,いつまでもこうして席を占領しているのも悪いかなと
「じゃあすいません,ごちそうさまです」と立ち上がった。
「夏は体調がいろいろだからね。無理しない方がいいしね。」と言ってくれたので
「・・・トシとっちゃったからですかね〜(連食とは言えないし,みえみえの言い訳)」と僕。
「いや夏は夏バテとかあるからね・・・」と真面目なフォローのさぶちゃん。
「じゃぁ,ごちそうさま〜」(今度来るときはもっと「空腹」にして来ますから・・・一般の人は普通そうだろうが・汗)「ありがとうございました〜」いつもの「音程」でさぶちゃんの声が店に響いた。
「さぶちゃん@神保町」と「二郎@三田」,20年前も今も変わらぬ行列のこの2店。ネット上での扱いは微妙に(かなり?)違う両店になってしまったが,「味」だ,「素材」だ,「手順」だなどという評価のレベルを遙かに超えたところで,人を引きつける何か大きな要素がどちらの「おやじさん」にもあるのだろう。「オレが作れば,いつでもそれが『二郎』の(『さぶちゃん』の)ラーメンの味なんだよ」とでも言いたげな・・・。
単純に「うまい」だけの店なら,20年前と違い今は他にいくらでもある。でも,僕が感じるような「懐かしさ」とはまるで縁がないような若い世代の人がたくさん,当然のようにどちらの店にも並んでいたから,一時期の流行とかではなく,世代を越えて延々支持されているのだろう。(2001/08/25)
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