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福寿@笹塚

 渋谷区笹塚3-19-1 火休 13:30〜20 富士見丘高校裏交差点角

 「若手といわれた福寿@笹塚の二代目」

「福寿」に初めて行ったのは1978年5月9日と記録されている。チャーシューメンを食べた。それでも310円だった。1978年当時も古いと感じた店だった。それもそのはず,創業は昭和26年(1951年)という。当時でも30年前にできた店だったのだ。狭い店の右半分を占める形で調理場があり,その大部分を創業当時から使われているという「大かまど」が占領している。「日本そば屋だった先代が,友人の仏料理のシェフや中華料理のコック達と試行錯誤の上作り上げた」というそれは,かえしのような甘めのスープ,固めの麺で,そばのようなひと味違うラーメンだった。「ラーメン」でも「中華麺」でもなく「中華そば」という感じだったのである。値段が安かったせいもあるのだろう。学生時代,気にいって何度か通った覚えがある。当時の僕にとっては「春木屋」よりも「福寿」の方が東京を代表する味だった。「angle」1978年2月号の記事には「老舗の味を若い2代目が受け継いだ」と書いてあったと思う。2代目は「若手」と言われていた。老舗の中でも一番勢いを感じさせていたのである。

 「往年の名店・福寿のこだわりとは」

その「福寿」を久しぶりに訪ねてみた。1978年当時の店の様子を語るまでもない。「福寿」は今も昔のままの形で,同じ場所で営業していた。50年間そのままということになる。しかし,古くても店内はきれいだった。かまどまわりに油っけは無く,柱も木窓の枠も水をかけて洗っているのではないかと思うくらいさっぱりしている。水色のカウンターの表面もすりきれて印刷がはげてはいたが,隅まできれいに磨かれているのでむしろすがすがしく感じた。そのカウンターに座り,ラーメン(500円)を注文する。店内には店主ひとりだったが,その横顔は確実に時の流れを感じさせるものがあった。「若手」といわれた2代目は,ベテランというより,もうすでに枯れた感じになっていた。淡々と作られたラーメンを食べる。スープは・・・甘い。「こんなに甘かったかな」。次は麺・・・固い。「こんなに固かったかなあ」。そういえば茹でる時間がえらく短かった(1分弱)。メンマ・・しょっぱい。チャーシューはかけらのようなのが1枚。笑ってしまうくらいだ。こう書くとうまくなかったみたいだが,そうではない。これでいいと思った。変わったのは僕のほうかもしれない。

春木屋」や「喜楽」がビルになったように「福寿」にもそのチャンスはあったと思う。街道沿いではないが角地であり,奥の部屋も含めれば「春木屋」程度のビルは建ちそうである。しかし「福寿」はそのままだった。いい時代に世代交代して店を受け継いでいながらである。でもこれが正しいのかもしれない。本来ラーメン屋とはこうあるべきなのかもしれない。背伸びせず淡々と一杯一杯のラーメンを作る。自分の手で直接できることだけをやる。「大かまど」とともに「先代の味」も残すことにこだわっているのかもしれない。たとえその味が時代に取り残されることになってもである。

この日の客は若いカップル2組,学生風の男の客がひとり,割と若い客が多いことに感心した。これだけ様々なラーメンとその情報がある時代にあえて「福寿」を選ぶ理由は何か。今の若者は,今の感覚でむしろ新しい味として「福寿」のラーメンを食べているのかもしれない。(1999.4.25

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