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ラーメンは『絵画鑑賞』のようなものなのだ 【2001/04】

たとえば「あなたは『絵』は好きですか?」と聞かれたとする。

『絵』を描くのは苦手でも,見るのも嫌いという人はあまりいないだろう。ラーメンもそれと同じ。店と同じように作ることはできない。ても食べるのは好き。そんなものだ。「『ラーメン』は好きですか?」と聞かれればたいていの人は「・・・好きだよ」と答えるのでは?そもそも敢えて否定するほどの食べ物でもない。だから日本にはこんなにラーメン情報が溢れている。

『絵』に理屈をつけるのも簡単。インパクトがある,ピンとこない,イマイチだな・・・いたって評価も抽象的。だって具体的な評価の基準なんてない。『絵』の好みに理屈なんていらないのに,何か言葉にしてその時の感情を表そうとする。だから無理がある。その瞬間「いいな」と思えばそれは「いい絵」なのである。他人に理解してもらう必要はない。その人がその時「うまい」と思えばそのラーメンは「うまい」のだ。

ただ『絵』と言っても各々がイメージするものは違う。油絵・水彩画・浮世絵・墨絵,今の時代ならイラスト・アニメ・CGだってそうだろう。漫画だって『絵』ではないとは言えない。それくらい『絵』の概念は広範囲。同じように「ラーメン」と一口に言ったってイメージするのは人それぞれ。それなのに漠然と「ラーメン」について議論したりする。概念の広いものについて,好みの違う者同士が「うまいラーメンとは?」と論じても結論が出るはずもない。

最近思うのだが,「ラーメン好き」のラーメンの好みって言うのは『絵画鑑賞』みたいなもので,油絵(こってり)がよかったり,水彩画(あっさり)に惹かれたり,時には何でもない一昔前のイラスト(ちょっと前の有名ラーメン店)に懐かしさを感じたり・・・それが1人の人間に並列して存在している。だからその好みを普通の人に理解してもらうのは難しい。紹介するのが難しいのはそう言うわけだ。「ラーメン好き」がすすめるから「誰もがうまいと言うラーメン」と言うことにはならない。

「油絵以外は『絵』とは言えない」なんて言う人はいないでしょ?水彩画もそう。技術的に高度な絵が必ずしも「いい絵」とも限らない。高価な絵の具を使っているから「いい絵だ」なんて言う人は誰もいない(たぶん)。それをラーメンに置き換えて考えるわけだ。技術や材料を超えたところに,長い間多くの人に愛される「うまいラーメン」がある。「二郎@三田」然り,「大勝軒@東池袋」然り,僕にとっての「さぶちゃん@神保町」もそう。この際「桂花@新宿」も入れておこう。長年そこに存在し,客を集めてきたと言うその事実は誰も否定できない。理屈じゃない。歴史だ。

その時季の気分で「いいなぁ」と思う絵は変わるように,一番好きなラーメンはいつも同じじゃない。でも「ラーメン」は好き。「今話題の店」も「昔懐かしの店」もみんな好き。

家に飾るならそれなりにちゃんとした『絵』がいいと思う。人に紹介するラーメンはそれなりのものにするのと同じだ。だけど,子供の頃見た漫画とかアニメとか,街角で見つけるとつい微笑んでしまう。いい歳なのに思わず立ち止まってしまう。懐かしいものは懐かしい。

先月ホープ軒に行きました。そんな自分に苦笑いしながら。

その日の気分で気軽に食べられるからラーメンはいいのだ。そのラーメンに対する思い入れは人それぞれだし,そのラーメンの正しい形なんてあり得ないと思っている。

                (2001/02/14)

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参照 > ラーメンは「女」である  『まずいラーメン論争』  『ラーメン論・序論』


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