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『拉麺徒然草2002』

ラーメンに関わること,関わらないこと,日々思うことを徒然なるままに・・・

【お題】

2002/07 「ラーメン」

2002/06 「サッカー」

2002/05 「フォーク」

『拉麺徒然草index』

2002年7月

 

日曜に久々に「ホープ軒@千駄ヶ谷」に行った。

10年前はファンだった妻のリクエスト。

・・・麺が細くなった気がする。舌触りもつるつるになったような・・・。

麺,変わりましたよね

いきなり妻が店のおじさんと話し始めた。

夏は冷やしラーメンがあるので茹で時間を合わせるために細くするのだという。

(初耳だ・でもそれって理由になるのか?)

「でもやっぱり太麺の方がこのスープには合うよね」

いいこと聞いてくれたと,喜んで妻にいろいろ話しかけてくるおじさん。

そしてそれにしっかり答える妻。周りの視線が気になってくる。

おいおい,ホープ軒についてイマドキそんなに『語る』なってば・・・・

と小声で僕(汗)

 

いくらラーメンブームとは言え,

ホープ軒のラーメンについて熱く語ってしまう女は我が女房くらいなものだろう。

(2002/07/09)

 

 

我が家のことが朝日新聞(6/23)に掲載された。

しかも全国版。もちろんラーメンでだ。

でも新聞というものは,購読していなければまずその記事は目に入らないもので

「読売」読者の多い地元〜親戚筋の反応はとても静か。

娘の小学校の「すこやかルーム」に記事が張り出された位が大きな成果か(笑)。

そもそも記事には,何故そこに掲載されるのかと言う肝心の説明がないので

感心はされるけど結局「???」と言う感じ。

何故載ってるの?と。

このHPのこと少しでも書いてくれればわかりやすかったのに・・・



でもさすがにマスコミの反応はよく,TVの出演要請が3本も来た。

日テレが2本にTV朝日が1本。番組名は・・・ここでは伏せよう。

「イマドキノコドモ」である娘達は意外に喜んでいる。

今までも,TVの話は何度かあったのだが(もちろんラーメン関係でだ),

元来引っ込み思案なものですべて断ってきた。

でも今回の朝日新聞の写真で,

一度しかない人生ならこういう目立ち方もいいのかな

と言う気になっている。

もちろん年齢が年齢だからTVならなんでもいいというわけではないが・・・。

と言うわけで出るかどうかはなお未定。

(2002/07/08)

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2002年6月

 

日本のワールドカップが終わった。

勝敗は6/3の予想がぴったり当たってしまった。

うれしくもあり,もの足りなくもあり・・・

どうせなら,『世界の壁』を感じさせるような相手に負けて欲しかった。

トルコは「決勝Tで負ける相手」としては完全に役不足

それだけが残念。あと一つくらい・・・

でもベスト16と言う結果は満足すべきかも。

だってもともと日本は・・・・ね。

 

今までに印象に残った場面。

 

自分のCKから得点が入ったのに抱きつく相手がいなかったベッカム

右サイドから股抜きでシュートしたオーウェン(ポストに当たったが・・・)

足がついていかずゴール前で前のめりに倒れ込んだジダン

予選敗退にガクッと膝を落とし,かつ前によろめいたバティストゥータ

それにしてもフィーゴ・・・韓国も引き分けにしてやれよなぁ

日本には勝って欲しいけど強豪国には予選で負けて欲しくなかった

 

さてわが日本

ベルギー戦で「吠えた」鈴木の口元と,稲本の右人差し指が心に残る

ロシア戦が一番盛り上がったかな?

稲本はオフサイドだったんじゃないかと言うことはどうでもいい

あの場面で外すのが今までの日本だったのだから

そしてチュニジア戦

森島のゴールに飛び上がって大喜びする母校の小学校の子供たちに心が和む。

彼のこの1点は,日本中のサッカー少年に希望を与えたのではないか。

この試合の最後の15分ほど幸せなサッカー観戦はなかった。

(2002/6/18)

 

 

ワールドカップがついに始まった。

開幕戦の「フランスVSセネガル」戦。

セネガルのディウフのくねくねしたドリブルが印象的。

こういう選手を見つけることがワールドカップの新たな楽しみかもしれない。

 

この歳でプレステ2でゲームをやったりするのだが(汗)

サッカーゲーム「ウィニングイレブン6」の出来がいいのに感心している。

で,日本戦をシミュレートしてみた(操作しているのは僕)

ベルギーには 0−0 の引き分け

ロシアには 森島のループシュートで 1−0

チュニジアにも柳沢のループシュートで 1−0 で勝った。

2勝1分で無事決勝トーナメント進出(笑)。

でも1回戦のコスタリカには何度やっても勝てない・・・

 

さて現実はどうなるか

いよいよ明日はベルギー戦である。

(2002/06/03)

 

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2002年5月

 

河島英五が急逝して1年になる

 

ラーメン食べ歩きを始めた頃,初めて彼のライブを見に行った。

1979年1月8日,六本木・俳優座劇場のライブ てんびんばかり

以来ずっとファンだったのに・・・

 

初期は『てんびんばかり』『さよなら』『ゴルゴダの丘』等の絶叫系が,

その後は『旅的途上』『ほろ酔いで』等の落ち着いた曲が好きで

なかでも時代おくれが一番好きだった。

 

一日2杯の酒を飲み 肴は特にこだわらず

マイクが来たなら微笑んで 十八番(おはこ)を一つ歌うだけ

妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに

男の嘆きはほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く

目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず

人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい

 

自作の曲ではなかったのだけれど「酒と泪と男と女・その後

みたいな感じで一番英五らしかったと思う。

やはり亡くなったのは残念だ・・・。

(2002/05/31)

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さらにフォークネタを。今,何かと話題(?)の「松山千春」ネタ。

デビュー曲(だと思う)の旅立ちが衝撃的だった。

僕は1977年に茨城から上京したのだが

高校時代にラジオで偶然聴いたこの歌の題名が知りたくて

大学の図書館のトイレの壁に,うろ覚えの出だしの部分

「『私の瞳が濡れているのは涙なんかじゃないわ』とかで始まる歌が気になるんだけど・・・」

と書いておいたことがある。

 

「それは『旅立ち』と言う歌で,松山千春と言う地元ではけっこう有名なシンガーの曲です」

と「北海道出身」と言う人からの返事が,翌日にはしっかり書いてあった(笑)。

これぞまさに今で言う掲示版(笑)。

限定されたメンバー内での匿名の気軽な情報交換の場だったのだ。

もちろん落書きはよくないのだが,

真面目な議論とか矢印でつなげて,よくこのトイレには展開されていた。

・・・スレッド&ツリーと言うことですな。

 

その後,松山千春は『季節の中で』のヒットあたりから

あっという間に中央でもメジャーなフォークシンガーになったが,

松山千春なら人生の空からもう一度とかが好きだ。

(2002/05/30)

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愛すべき1970年代

あの頃はみんな長髪だった。そう言う時代。

吉田拓郎も南こうせつも,さだまさしも小田和正も松山千春も,みんな長髪だったのだ。

あの谷村新司でさえ初のソロアルバム『』の頃は,

上半分着色のなすび型サングラスにぺたっとした強引な長髪だったんだから(笑)。

 

僕はと言えば

高校時代に見たNTV『俺たちの旅の中村雅俊の影響をもろに受けて,

軍服のようなジャケットに「ベルボトム」(完全に死語ですな)のジーンズ

しかもなんと「下駄」まで履いて,

開通したばかりの新玉川線に乗って通学していた(笑)。

・・・馬鹿である。

図書館には「下駄禁止」の貼り紙。のどかな時代だった。

 

中村雅俊の唄う『俺たちの旅』もよかったけどただお前がいいもよかった。

どちらも小椋佳。その線では陽水の『白い一日』も名曲だったなぁ・・・。

(2002/05/25)

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50才を過ぎた小田和正の「キラキラ」が売れている。

曲調も詞の内容も昔とあまり変わっていないのにたいしたものだ・・・

ベスト盤の『自己ベスト』も売れてるそうな。160万枚突破だとか。

今日の朝日にカラーの全面広告が出ていた。

 

20年以上前,肩まで髪をしっかり伸ばしていた頃の話だ。

デュオの時代のオフコース好きの青学の友人に合流して,

青短の女の子と2+2のいわゆる合コン(?)をやったときのこと。

実は当時河島英五ファンで,しかもそう言う風体だったのに

「僕もオフコースは好きでよく聴くんだよね〜秋の気配とかね」

と適当に調子を合わせて言ったら

 

「私もオフコースは好きだけど・・・

オフコースを好きという男の人はあまり好きじゃないの。」

 

だって。

でも,妙に納得してしまった(笑)。

YES−NOなんてかなり女々しい歌だし・・・。

でもそれ以来,オフコースのファンになってしまった。

 

渋谷でボーリングして,そのあと僕の希望で「喜楽@渋谷」に行ったりしたから,

当時から僕はラーメンばかりだったような(笑)。

「スープを飲みきるのが正しい食べ方なんだ〜」と言ったら

「ふ〜ん,でも私は飲まないわ。」だって(なんてこったい)。

でもこれまた妙に納得してしまった記憶が・・・・。

まださほどラーメンブームじゃなかった(と思う)1998年の暮れ頃,

TVで見た「かづ屋@中目黒」に行ったら

店内の壁に張り付くようにずらっと行列。

ふとよく見ると入口側の奥の席にいるのはなんとあの小田和正

丁寧に折ったハンカチで

何度も額の汗を拭きながら黙々と食べて,

小声で「ごちそうさま」と言ってうつむき加減で僕の前をすり抜けて出て行った。

意外に小柄。

その時は30分ほど店内に並んで待ってたから,

彼も同じように並んで待っていたのかと考えると,

意外にラーメンフリークなのではないかとずっと思っている。

 

I LOVE YOUのバックのラジオ風ナレーションはジョンレノン射殺のニュース調。

その享年もあっさり超えてしまった自分

・・・何をやっているんだか・・・。

 

生保のCMで言葉にできないが流れるたびにジンと来ている。

あなたに 会えて 本当に よかった うれしくて うれしくて 言葉に できない・・・

 

みなさんにとっての「あなた」は誰?

 

(2002/05/23)


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