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喜楽@渋谷

 渋谷区道玄坂2-17-6 水休 11:30〜20:30 

店の近くへの駐車はほとんど不可能であるTEL03-3461-2032

 渋谷「喜楽」の栄枯盛衰

今はしゃれた3階建てのビルになってしまったが,1978年当時は木造の2階建て。場所も今と同じ渋谷道玄坂百軒店に,道頓堀劇場(知る人ぞ知る所だが今はない)と向かい合うように立っていた。白いのれんをくぐり木枠のガラス戸を左にガラガラと開けると左側にレジと2階への階段,その下にテーブルが二つ,右側にL字型の低い(70cm位)白木のカウンターがあった。10人くらい座れたか。調理場との境は無いに等しく,つくる課程はすべての席から丸見えだった(ここで炒飯の作り方を覚えたくらいだ)。中央には2階の客へ料理を運ぶ手動式のエレベーター(?)なんてのもあった。

この頃は今は亡き先代も厨房に立っていた。まさに頑固な職人という風体の先代は台湾出身,独特のイントネーションでしゃべり厨房を仕切っていた。愛想など全くなく,客が来ても一瞥するだけで「いらっしゃい」とドスのきいた声(今となっては懐かしい)。無駄口など聞いたことない。当時若手として厨房に立っていたのが現在「ちょろり」(恵比寿)の店主・森山氏。黒眼鏡で銀行員のような端整な顔立ちで,愛想も良くこの二人の対比が妙だった。そしてこの二人がつくる中華麺・タンメン・もやしめん・チャーハンが絶妙だった。茨城から上京し,この店のタンメンによって僕は果てしない食べ歩きの道に入ってしまったといっていいだろう。

しかしこの喜楽も,森山氏のかわりに職人が入ったころ(1978年後半)から一時味が落ちる(特にもやしめん)。が,今も厨房でリーダーとして仕切っている元気なヒゲの職人さんが入った頃(1980年くらいか)から復活し(一時森山氏も戻っていた記憶がある),現在に至っている。ただ,ビルに改築され,先代も亡くなり,二代目となった現在の「喜楽」に,昔の名店の面影は少ない。ヒゲの職人さんがタンメン・もやしめんをつくっていた頃はまだよかったが,改装し中華麺系(炒飯も含む)と炒め物系(タンメン・もやしめんも含む)が分業制になり,ヒゲの職人さんは中華麺・炒飯専門になってしまった。タンメン・もやしめんをつくってはくれないのである。彼以外の人がつくるタンメン・もやしめん・野菜炒めは「昔の味」ではない。とくにタンメンは全く別物になってしまった。昔は炒めた野菜の旨みがしっかり出た,濃いスープだったのである。もやしめんもそうだ。今はどちらもあっさりしてしまった。ついでに言うなら,チャーシューも煮玉子も変わってしまった。今を基準にして考えるなら,それでも十分な味なのかもしれない。だけど,僕にはもの足りない。異論はあるかも知れない。でも,1980年前後,僕は週に2〜3度のペースで喜楽のタンメン・もやしめん・中華麺を食べ続けていたのだ。その僕が,今そう感じるのである。「代替わりすると味が落ちる」なんて一般論を当てはめているのではない。「今も喜楽が好きだから」あえてそう言うのである。

今でも年に2,3度訪ねてはいろいろ頼んでみている。しかし評価は「うーん」。中華麺の平麺と醤油味のスープの焦がしネギに昔の面影があるだけ。かろうじて炒飯は昔と同じ味だ(玉子スープは変わったが・・・)。炒飯だけは「喜楽」以上の味に出会ったことがない。おみやげにしてくれる(大盛がいい)。キビキビした動きのヒゲの職人さんがもし独立でもしたら「喜楽」はどうなってしまうのだろう。(1999/04/08)

>「永楽(大井町)にかつての喜楽を見た」

2001年12月24日

家族で来るのはこれまたけっこう久しぶりかもしれない。道玄坂の途中の百軒店商店街の坂を上がる。たしか閉館したはずの「道頓堀劇場」が復活したようで,きれいにネオンが輝いている。娘の手を引きながら思わずじっと見ていたら,妻に背中をつつかれた(笑)。レジにおかみさんはいなかった。代わりにすっかり若白髪が増えた2代目が立っている。1Fはカウンター席のみだから2Fのテーブル席へ。けっこう満席。窓側の3人掛けの席に家族4人でぎっちりと座る。「ご飯ものを」と考えたのだが,娘達はなお「ラーメンがいい」と言うので,中華麺600円・もやし麺700円・湯麺700円に炒飯750円を大盛りにして(150円増し)オーダーする。2Fのフロア係は前に来た時もいた,元気な中国系の女性だ。小4と小1の娘に小柄な妻との4人でこの量だから,ちょっとたじろいだようだ(誰が食べるの?と言う感じ)が,無事注文は1Fの調理場へ。まずはチャーハン。すぐに出てきた。量はさすがに多い。出来上がりとしてはちょっと雑な感じ。例の如くまとめて作って置いたものなのだろう。玉子スープはやはりすっぱい。何故?。「ラーメン」は独特の食感の平麺と揚げネギのアドバンテージのみかな。掲示版で最近話題になった「もやし」は(「ラーメンにもやしは必要か」・2001/12/13),たしかにこのラーメンならぴったりくるとは思ったがかつてのインパクトはない。白湯だったお気に入りの「タンメン」も,中華料理店によくあるタイプの「野菜たくさん透明塩味スープ」になってしまったたし,「もやし麺」も炒め野菜の旨味がスープに馴染まず,かつての味にはほど遠い。さびしくもあるがこれも時の流れだろう。この店に来ると,帰りに調理場のリーダーのヒゲのお兄さん(もうすっかりおじさんだが)に軽く目で会釈するのがささやかな楽しみなのだが,忙しそうでタイミングを外してしまった。残念。通い詰めてた学生の頃(20年以上前),いつも通り「タンメン」と注文すると「ライスは?」とニコッと笑って聞いてくれたのが,馴染みの店なんてなかった僕にはすごくうれしかったのだ。白木の低いカウンターの,昔の店の頃の話である。

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2004年1月04日

家族4人でこの店に来たら,気になるメニューを一通り食べる。これが我が家の暗黙の了解だ。 中華麺(600円)・湯麺(700円)・もやし麺(700円)に炒飯大盛り(750+150円),それにレバニラ炒め(650円)。娘2人の4人家族でこれはかなりの量なのだが,娘達が小さい頃も同じような量を注文し,持ち帰ったりしていたから今はもう余裕である(笑)。でも問題は味。もはや往年の味とか期待してはいないが,炒めたモヤシの油がスープに混じって絶妙だった「もやし麺」のもやしは「火を通しただけ」のようだ。野菜の旨味なんて出ていない。ちゃんぽんのようにクリーミーなスープだった「湯麺」は普通の店と同じ胡椒系。麺は全部固めで茹でが足りないし・・・。やはり中華麺のスープの揚げネギだけが昔の面影になってしまった。つい最近までよくおみやげに持ち帰ったいた「炒飯」もなんかそれほど感動できないし。それでもみんな平らげる我が家(笑)。帰りがけにはヒゲの職人さんに入口の窓越しに挨拶。ちょっと見えただけなのだがニコッと笑ってくれた。ほっとする。通い詰めていた学生時代を思い出す。もう四半世紀も前。あの頃とは店も味も変わってしまった・・・。

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