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それでも僕は都(みやこ)をめざす〜《掲示板の功罪》 【2000/06】

水戸の人間は「水戸っぽ」と呼ばれる。性格は「一本気で頑固」だそうだ。古くは幕末の「天狗党の乱」のように,内輪もめで時流に乗り遅れ,せっかくの人材を水戸藩が自ら処刑してしまい,その結果として「水戸学」という立派な思想を構築しながら,歴史的には表に出られなかったと言う悲しい過去がある。

「水戸っぽの三ぽい」と言う言葉もある。「怒りっぽい,理屈っぽい,あきっぽい」というのがそれ。これが県民性?。ご多分にもれず僕にもすべてあてはまる。もっともラーメンだけはあきずに食べ歩いている。

ところで僕のハンドルネームは『水戸黄麺』。もちろん「天下の副将軍・黄門様」にあやかったものだが,わざわざこんなたいそうなハンドルをつけたのもHP開設時(1999/04/08)に東京の巨大ラーメン掲示板(「とらさん会議室」「ラーメン情報交換室」等々>「どんぶりリンク」参照)に出入するのにふと思いついたもの。茨城の人間が注目してくれるのではと思ったからだ。別に茨城県を代表しているわけじゃない。

そのハンドルネームのことなのだが,先週のこと,とある悪名高い巨大掲示板(スレッドが乱立する管理者不在の「匿名・言いっぱなし掲示板」・もちろん真面目な有益な情報も多いのだが・・・)でなんと僕のハンドルを表題にしたスレッドが立ち上がった。しかもその表題が「水戸肛麺」などとなっているから最初からして悪意が感じられる。もっとも内容は「いなかっぺのおっさん」「ねくら」「地元の名士気取っている」等々取るに足りないものばかりだが,「水戸っぽ」としては言われっぱなしでは気が収まらない。尻馬に乗ったようなレスが続く(同一人かもしれないが・・・)ので『一応』反論を投稿する。最後に「僕も掲示板持ってるから意見はいつでも受け付ける」と書いておいた。刺激すると「HPが荒らされる」と言う指摘もあったが,いまだそう言う動きはない。もっともメールアドレスを表示しなくてもログは送られてくるから,それほどの「勇気と知性と責任感」があればあんなところで匿名でこそこそ書いてはいないんだろうが・・・。

でも,そんなこと「正論」で書いていて空しくもなってきた。便所の落書きに反論しているような空しさを感じたのだ。ただその「便所の落書き」程度のものが広く一般の目に触れることが問題。その内容の真偽は見ている人の良識ある判断に任せるしかないのだが,会ったこともない大多数の人にとってはそれがイメージとして固定されてしまう。プライバシー権を「自分に関する情報を自らコントロールできる権利」と捉えるなら,これほど不愉快なものはない。HP自体,プライバシーを公開しているようなものなのだが,それとて自分で決めた「限界」がある。「掲示板」はその限界を簡単に踏み越えてしてしまうのだ。その歯止めが「管理者」なのだがその存在が見えにくいところではどう対処したらいいのか・・・。

そのレスをつけたら,「良識あるラーメン仲間」からメールや電話を多数いただいた。みんなに共通する結論は「相手にするだけ時間の無駄」との助言。もっともだ。もともと低次元の争いなのだから,それが感情論になったのでは目も当てられない。ただただ空しさだけが心に残った。

これは以前『まずいラーメン論争』の中でも書いた(1999/07)のだが,掲示板というのは,便利な反面,危険な部分も持っている。個人がHPを作ってもそれが認知されるまでには多大な時間を要するし,認知される頃には主宰者もある程度特定される立場となる。発言には慎重にならざるを得ない。HP上の表現には「責任」が生じるのである。しかし掲示板は違う。誰でもネットに接続してありさえすれば,いきなり自分の意見をのせることが出来る。メールアドレスを表示しなければ,特定はさらに困難となる。ここに無責任な投稿が生じるのである。大きな掲示板になれば主宰者のチェックなんて無理である。投稿は24時間いつでも可能なのだ。一つの店を人気店にするのも悪評をたてるのも,やろうと思えば方法はいくらでもあるのだ(長期的には実力通りになるとしても・・・)。その肝心かなめの主宰者の存在が見えない個人の巨大掲示板。そんなものができてしまったのである。しかも,ラーメンとはおよそ関係のない「個人への中傷」が面白おかしく書いてある。ここは同一人物でも匿名で一人二役,三役で,しかも性別まで変えて繰り返し投稿できるから問題がさらにある。無責任に個人攻撃できるのだ。多数の意見を装ってね。ハンドル変えるよりずっと悪質。削除要請も簡単にはできないようだからどうしようもない。悔しい限りだ。「誰も見ていないよ」と侮るなかれ。掲示板の規模が大きくなればなるほど,そこに掲載される情報の影響力は強くなってくる。管理者の判断に任せるのにも限度がある。その管理者がいなければまさに『無法地帯』。結局は個々の投稿者のモラルに任せるしかない・・・。そう言って漠然と「楽観視」するしかないのである。

そんな中でもまた東京に行ってしまった。「いなかっぺのおっさんの食べ歩き」と言われようと食べたいものはしかたがないのだ。日曜の東京のラーメンは日々のストレス解消にもなる20年来のささやかな(?)「趣味」なのだから・・・。HPのネタとして食べ歩いているわけではない。何の見返りもないのにせっせと20年間以上食べ歩いてきた生活の延長線上に,たまたまこのインターネットがあっただけなのである。ただただ自己満足だけで食べ歩いていたHP開設前の頃の方が精神的にはずっと楽だったかもしれないと思うようになってきた今日この頃・・・。

(2000/06/20)

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