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人気ラーメン店の行列についての一考察 【1999/06】

店が近づくに連れて,行列が見えてくる。「まだ並んでるのか・・・」。日曜の午後9時,店の外に15人くらい立っていた。

ご当地ブームで和歌山ラーメンが注目されると同時に開業したこの店は, いささかネット上の評価が先行する形で「人気店=行列店」になった。 僕も当時マスコミ(週刊誌だが)に導かれるままに食べている。(1998.4.19)。感想は「そこそこ満足」。ただ,先行した和歌山系の店に比べるともの足りなくも感じた。

案の定,人気店の常で,反動も大きかった。ネット上では人気に疑問型の投稿が飛び交った。でも,まだまだ貴重な和歌山ラーメン。マスコミ的にはあいかわらず出ずっぱり。駅に近く大きなデパートの裏にあり,まわりの環境もよかったからかもしれない。若い店主のこぎれいな店で女性受けしそうである。人気は衰えなかった。

あれから1年。もうそろそろ落ち着いた頃かと思った僕が甘かった。1年前より行列は長くなっていた。

この手の店のご多分にもれず,若いカップルが多い。しかもおしゃれな感じの女性ばかりだ。一昔前なら,ラーメン店で見かけることは不可能だったきれいどころである。それはそれで好ましいことだ。事実,彼女たちは喜んで並んでいる。一昔前なら,たとえ見かけたとしても必ず女性の方は不機嫌な顔をしていた。「なんで私がラーメンなの?しかもなぜ並ぶの」 無理もない。女性向け情報誌に堂々とラーメン特集が載るなんてつい最近のことである。彼女たちにとって「ラーメン」は「牛丼」と同じだったのである。

「支那そばやで・・・めじろが・・・」なんて言葉が後ろの女の子の方から聞こえてくる。かなり詳しそうだ。こういう女のコが増えることはいいこと,かどうかはわからないが,行列でラーメン店の蘊蓄を聞くのはなんか恥ずかしい。妻が先々週に行った「花の季@宇都宮」の話をし始めたので「そういう話は今はいいよ」と言ってしまった。自分が話すのはもっと恥ずかしく感じたからである。もちろんこれは個人的な感情だ。根拠があるわけではない。でも恥ずかしいものは恥ずかしい。だからしない。

その後ろの方を見ると,いたいた男1人でポツンと立っている彼。間違いなくラーメンフリークである。行列に1人で並ぶなんて,ラーメン好きでなければ普通しない。僕がそうだからよくわかる。今日は妻と並んでるので,列から出てまわりを見る余裕もあるが,1人の時はじっと下を向いて待ってることが多い。そんな時は待ち時間がとても長く感じる。でも,ひたむきさはよくわかる。食べても感想を言う相手もいないから食べながら1人,頭の中で評論会が始まったりする。メモをとったりする。

誰かに伝えたくなればネットに投稿できる今はいい。20年前に食べ歩きを始めた頃は,何もなかった。「angle」の余白に「チャーシュー2枚小さめ」なんて書き込んでて,友人から笑われた。県人寮にいたので,年に1度の文集に初めて食べ歩きを発表した。1979年(昭和54年)の冬,大学2年の終わりの頃だった。その題名が「どんぶり一杯の幸せ」。口もきいてもらえないような先輩から「ラーメン好きなんだねえ」とよく声をかけられた。そのうれしさが,今のHPにつながっている。

その文集の中の一節 ・・・「やっとのことで,目的のラーメン屋を見つけその店自慢のラーメンのスープを口に流し込んだとき,オレの意識は桃源郷を彷徨った。−凡人にはこのヨロコビはわかるまい−そして,征服したラーメン屋の「アングル」の記事を赤いボールペンで塗りつぶしていくとき,おもわずオレは「にたーっ」とわらってしまうのだ。」・・・20年たった今もやってることは変わらない。

1人で並ぶ若者よ,がんばれ。いつかその努力が報われる日がきっとくる。・・と思う。・・・たぶん。

行列に並んでいるといろんな人のラーメンに対する思いを感じることができる。そして,列がずりっと動くときその店のラーメンに対する期待がぐいっと持ち上がるのである。「さあ,あと3人だ」・・・(1999.6.16)

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