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● 1979年の『どんぶり一杯の幸せ』
1977年(昭和52年)4月,大学進学のため上京。世田谷区上用賀に住む。新玉川線が開通した年だった。
朝夕2食付の寮に住んでいたので,昼食だけが外食。もっぱら学食で200円のカツカレーが定番だった。せっかく東京に来たのだからたまにはうまいものでも外で食べたい。でも金は無い。安くて旨くてあきないもの,それがラーメンだった。さいわい大学が京王線と井の頭線が交差する所にあり,渋谷・新宿・下北沢・吉祥寺・・どこへ行くにも便利だった。何となく渋谷の「喜楽」とかにたまにいってたころ,生協の書籍部で買ったのが,当時創刊間もなかった情報誌「angle」1978年2月号(1977年7月創刊/主婦と生活社)だった。1978年1月30日,170円で買えた。その号で特集されていたのが「徹底調査!味自慢のラーメン屋75店」という記事。なぜかこれを全部回ろうと思ったのが始まりである。( 「1978年頃の有名店そしてその変遷 」より )
誰かに伝えたくなればネットに投稿できる今はいい。20年前に食べ歩きを始めた頃は,何もなかった。「angle」の余白に「チャーシュー2枚小さめ」なんて書き込んでて,友人から笑われた。県人寮にいたので,年に1度の文集に初めて食べ歩きを発表した。1979年(昭和 54年)の冬,大学2年の終わりの頃だった。その題名が「どんぶり一杯の幸せ」。口もきいてもらえないような先輩から「ラーメン好きなんだねえ」とよく声をかけられた。そのうれしさが,今のHPにつながっている。
その「どんぶり一杯の幸せ」をHP上に再現してみる。20才の頃の文章だから今とそんなに差があるわけでもない(というか,今なお幼い文章ですいません)。懐かしさで書いてみる。文集は今なお僕の手許に存在するのである。
そもそもこの「どんぶり一杯の幸せ」という題名だが,昭和40年代後半「レモンちゃん」というニックネームで一世を風靡した深夜放送の人気パーソナリティー(懐かしい表現だ),「落合恵子」さんの「スプーン一杯のしあわせ」あたりから発想したのだろうと思う。20年後にこういう形で再現できるなんて,当時の僕は考えてもいなかったろう。「インターネット」なんて,その言葉すら知らなかった頃なのだ。
以下,当時の原文のまま。
どんぶりいっぱいの幸せ
━━ 中華麺狂の時代 ━━はじめに
「一日一食中華麺」
序章 邂 逅
1978年1月30日,私は「アングル」と言う名の雑誌を 明大生協書籍部にて購入した。組合員価格170円であった。
第1章 涙の誓い
問−何故「アングル」を買ったのですか?
答−「徹底調査!味自慢のラーメン屋さん75店」という特集があったからです。
問−ほう,それでは あなたはラーメンが好きなのですね。
答−うまいラーメンのためなら,いかなる労力も惜しみません。この本を買ったとき,この75店を全部制覇することを,心に誓いました。
問−今現在,どのくらいの店を食べ歩きましたか?
答−今日(昭和54年1月11日)までで75店中46店です。
問−印象に残った店,うまいラーメンを二,三教えてください。
答−そうですねぇ・・(と言って私は,もう表紙もとれボロボロになった貴重本「アングル」のページを繰り始めた)第2章 放 蕩 じゃない 放 浪
苦しい闘いが続いている。ただ一杯のラーメンを食うために,俺は歩き回った。「アングル」の小さな絵地図をたよりに,市ヶ谷から早稲田まで歩いた。市ヶ谷から赤坂まで歩き,ついでに,そこから渋谷まで歩いたこともあった。交通費をかけずにうまいラーメンを食うことに意義がある−そう信じていた。
問−本当は交通費をケチっただけですね。
答−・・・・・。やっとのことで,目的のラーメン屋を見つけ,その店自慢のスープを口に流し込んだ時,オレの意識は桃源郷を彷徨った。
−凡人にはこのヨロコビはわかるまい−
そして,征服したラーメン屋の「アングル」の記事を赤いボールペンで塗りつぶしていくとき,おもわずオレは「にたぁーっ」と笑ってしまうのだ。残り29店,当然のことながら 遠めと高めが残った。旅は続く・・・。
第3章 中華麺(ラーメン)狂時代
Q−アナタノ推薦スルらぁめん屋サンヲ具体的ニ紹介セヨ
A−じゃあ渋谷からいきますか。まず,道玄坂にある『喜楽』,ここは一年生の夏前から気に入って通っているけど,近ごろ人がかわったせいもあって 味が落ちましたね。早く昔の味を取り戻して,絶妙の味のタンメンやもやしソバを出して欲しいなぁ。Q−他ニハ?
A−桜丘町の「あすか」,宮益坂の「羽衣」などがいいですね。ちょっと離れて,南青山3丁目の「日月潭」の日月潭麺もうまいですが,値段が1100円とちょっと高い。Q−用賀周辺デハ,ドンナ店ガアルカ
A−経堂のジョイフル地下の「ラーメントントン」のザーサイメン,三軒茶屋の「えぞっ子」のみそラーメンもオーソドックスな味ながらうまいです。用賀では「弘楽」のタンメン,私としては「元祖札幌や」も捨て難いのですが・・・Q−安クテウマイ所ハドコ?
A−田町の「ラーメン二郎」。炒め野菜と厚切りチャーシュー5枚がのって210円だから涙です。ただしかなり油っぽいから,あっさり好みの人には,京王線笹塚の「福寿」をすすめたいですね。固めの麺がにくいです。Q−変リ種ノらあめんヲ出ス所ハ?
A−新宿の「日高」,男爵ラーメン,納豆入りの地獄ラーメンと,なかなかユニークな味。銀座・松屋裏の「ヤマモト」も,何とも表現のし難いスープを出しますね。くまもとラーメンの味もいいですね。白くにごったこくのあるスープで,新宿の「桂花」,下北沢・吉祥寺の「火の国」で賞味できます。Q−一番人気ノアッタ店ハ?
A−井の頭線永福町の「大勝軒」,3時頃でも,店に入りきれない客達が入口からあふれていましたね。Q−池袋デハ?
A−「あかね」「北龍」をすすめたいですね。特に「北龍」のしょう油味のラーメンのスープは絶妙です。Q−高田馬場ハ?
A−西早稲田の「えぞ菊」のヤングラーメン(900円),恐怖の超大盛りです。Q−らあめんトイエバ札幌デスガ・・・
A−赤坂の「薄野」「一点張」。どちらも,本格的札幌みそラーメンが食べられます。日本橋・三越の「オホーツク」のコーンバターラーメンも,ひと味違います。Q−他ニ印象ニ残ル店ハ
A−下北沢の「a亭」,ここは何を頼んでもうまいですね・TVなどでも有名です。あと,千駄ヶ谷の立ち食いラーメン「ニューホープ軒」も油っぽくてうまかったなぁ。有楽町の「万世麺店」はさすが肉の万世のチェーン店だけあった,具が豪華でボリューム満点。六本木の「楓林」に入ったときは,店内が豪華でひどく場違いな感じがしたけど,五目そば(600円)はたしかに美味でした。10パーセントのサービス料をとられたけど・・・。他にもいろいろ回りましたが,印象に残った店はこんなもんですね。もっとも,残り26店の中にいい店が残っているかもしれませんし,「アングル」に載っていない”穴場”があるかもしれません。これからが楽しみです。−−−−第4章 仁 醒
人間誰だって食欲がある。どうせ食べるならうまいものを食べたいと,誰もが思うだろう。ラーメンなんて安い食べ物,いい店をみつけだした時の気分は最高である。昼食にラーメン,夜食にインスタントラーメン。みんなで一日二食ラーメンを食べよう。
終章 故郷に帰りたい
水戸高島屋八階「北京飯店」の五目そばはうまかったなぁ。高校の頃よく通ったっけ・・・。
おわりに
「 中華麺(ラーメン)は永遠に不滅です。」
この「アングル」も記事は白黒で1ページを6段位に区切り12店ぐらい,モノクロの小さな写真に簡単な絵地図,住所に紹介記事という構成だった。この小さな絵地図を頼りに,授業が終わると(時には授業を自主休講して)そそくさと大学を出て,目的地へ。まさにコツコツと回り続けた。そしてついに1979年6月21日,銀座の「萬福」をもって75店を食べきったのである。実に1年5ヶ月かかった。連食の日があってもである。時間を作り交通費をかけて行くというのは簡単ではないのだ。それでも当時はラーメンの情報は限られていたので,75店を食べきったときにはそれなりに満足感があった。他の店の情報は入ってこなかったからである。ところが今は違う。「ラーメン本」は巷にあふれ,毎週のようにどこかの雑誌に特集が組まれ,おまけにこのインターネットである。食べたみたいラーメンがあとからあとからできるのだ。情報を得たラーメンが本当にうまいのか,うまいとしてもどれくらいうまいのか,どんな風にうまいのか,考え出したらきりがない。食べて自分なりの結論を出したいのである。(「ラーメン連食の正当性を論証する」より)
だから,20年以上たった今もラーメンを食べ歩いているのである。「幸せ」が「どんぶりいっぱい」欲しいのではない。「どんぶり一杯」のラーメンに「幸せ」を感じたいのである。(1999.9.16)