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光江@下谷

台東区下谷2-22-6 木休 11〜20(土日祝〜18) 

 祭りと「光江@末広町」と大相撲

昭和23年開店と言うから,創業半世紀になる老舗である。その色っぽい店名は,先代が開店する際に,占い師につけてもらったという。angle1978年には載っていなかった(と思う)が,1987年の別冊には老舗として載っている。従って僕も初めて食べたのはそんな昔ではない。7,8年前くらいか(1978年のangleに載っていたとしら20年前にも食べたはずなのだが記憶が定かではない)。ただ店舗は現在の場所ではなく,もっと表通りに面した所にあった。地下鉄(日比谷線・入谷駅)の出口のある大きな交差点のそばの普通の木造の店だった。不思議な造りで,入ってすぐ右に厨房とカウンターがありその奥の方が広く,そこにテーブルとか座敷(居間?)があったような気がする。味の印象としては「普通のラーメン」だった。店名から連想するような「支那そば」とも違う。ただ透き通ったスープは印象的だった。

その「光江」を久々に訪れる。下谷の町一帯はおりしも祭りのまっ最中で,車が進入禁止となった路地では出店が開かれ,所々にある祭典事務所で地元の人たちが集い,道に出したテーブルで酒を飲んでいた。その事務所の先に新しい「光江」を見つける。元の場所よりだいぶ奥の路地の角だった。老舗といった風格はなく,ごく普通の中華料理店という外観。店内に入ると,左側の窓に沿って長いカウンター,右側にテーブルが縦に4つ並ぶ。メニューは「何でもあり」。丼物はおよそ思いつく物は全種類(開化丼なんてのもあった)あり,カレーライスまである。これじゃ普通の人はここが昔から「ラーメン本」に載るような店であるとは感じないだろう。ラーメン(500円)を注文する。壁のテレビで大相撲の中継を見ながら,カウンターで星取り表をつけていたおかみさんが,僕の注文を奥の厨房の店主に伝える。隣のテーブルでは子供連れの若い夫婦が「早く食べなさい」と子供をせかし,「おにいちゃん,ちゃんと食べるのよ」とおかみさんが笑って言っている。のどかな下町の日曜の夕方である。おっと,肝心のラーメンの話がまだだった。運ばれたラーメンはまさにオーソドックス。相変わらずスープは透き通っているが,特別な特徴があるわけでもない。やや太めの縮れ麺の味はさらにそう感じる。この日は「めんめん@末広町」を食べた後だった。研究熱心な若手の店の後だから,余計そう思ってしまったのかもしれない。

食べ終わる頃,相撲中継をやっていた奥の壁にあるテレビが,アナウンサーの絶叫とともに,「横綱」曙が「関脇」魁皇にもろに投げ飛ばされる場面を映し出した。最盛期をとうに過ぎた横綱が次期大関候補の関脇に投げ飛ばされても,今さら驚くことはない。「めんめんが魁皇で,光江が曙かな。まてよ,曙は光江のイメージじゃないな。うーん琴桜(※)あたりかなあ」そんなこと考えてた。「現役の時は強かったんだ」と言って親方になれる相撲界と違い,ラーメン界では常に現役同士。戦えば,いや食べ比べれば研究熱心な若い店に,往年の味をかたくなに守る「老舗」はかなうはずもない。例外はあると思うが・・・(1999.5.16

※「琴桜」・・・第53代横綱(1973〜74)・現佐渡ヶ嶽親方・不世出の名横綱といわれた「玉の海(在位中に病死)」と何かと派手な「北の富士(千代の富士の師匠)」の「北玉時代」から,学生出身横綱「輪島」と若き天才「北の湖」の「輪湖時代」への合間にひっそりと在位した。若いときから老け顔で,派手さはまるでなかったが,僕の印象では「おしん横綱」と言われた「隆の里」より苦労人で渋かったイメージがある。

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