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まずいラーメンはまずいといってもいいのか【1999/06】

 このHPを始めた頃に,古い友人(ラーメンフリークではない)からメールで「余り名指しで批判すると営業妨害になるので,気を付けてください」との助言をもらった。

僕の返事はこうだ。「僕の考えでは,「おすすめ,うまい」だけではつまらないと思うのです。あと自分のHPを見てどれだけ人が左右されるかと言うことですよね。ラーメンのホームページ見るような人が,評価が高いから行ってみようとは思っても,知らない店の評価が低くてもそれは元々行く予定のない人が結局行かないだけだと思うのです。そして,知っている店の評価が自分と違えば,そのHPの評価が変わるだけのことでしょう?「営業妨害=来るはずの客が来なくなる」とまでは思ってないのですが・・・(気をつけてはいるつもりです)。そもそもそんな影響力が自分のHPにあるとも思ってもいません。」 当時はそう考えていた。

HPを見てメールをくれた別の方(こちらはラーメンフリーク)にそのことをきいたら「営業行為として掲載している場合と、現在の我々のように単純に趣味嗜好だけの個人的な内容の場合とは問題が違うと思います。まずいと思ったらまずいと書いてもいいのではないですか?」「ただ、参加者のコミュニケーションを維持する上では、他の人が「おいしい」と書いたお店やラーメンを「まずい」と書くのは良くないと思いますね。そもそも、おいしいとか、まずい、という表現は普遍的なものではなくて主観的なものですから」と返事が来た。前段はともかく,後段の前半については微妙だ。参加者が増えるほどおいしいラーメンだらけになる。でもだいたいこういう場に出てくる人達は各々ラーメン観を持ってるから「?」とは思っても「まずい」と思うようなラーメンを紹介されることはまずないと言っていいだろう。

誰もが旨いというラーメンはないのではないか」というのが別項で書いた私の持論である。では「まずいラーメン」はどうか。少なくともラーメンフリークレベルで言えば,業務用のスープだけで済ましているような個人の店は論外である。そもそも話題にもならない。そこそこのスープでもぬるいもの,薄いもの(薄味ではなくて)もいただけない。プロの仕事とは言えまい。麺の茹で時間がいい加減なものもダメ。固めを好む人がいても柔らかめを好む人は少数だろう。少なくとも僕は注文してる人を見たことがない(もっとも「桂花@新宿」は別。だが,「やわらかめ」を注文したいと思って20年になるが未だ試したことはない)。完全に茹ですぎ,もしくはのびてる麺を出された場合は圧倒的に「まずい」という印象を持つことになる。麺あってのラーメンだからである。スープのないラーメンはあっても,麺のないラーメンは存在しないのだ。

では,そのようなラーメンをネット上で「まずい」という必要があるのか。現時点ではその必要はないと思っている。「技術的にまずいラーメンは普遍的なものである」とは思うが,それを積極的に公表していく理由がないからである。食べれば誰でもわかることだからである。運悪くそんな店に入ったとしても,自分にとっての「うまいラーメン」を見つける勉強だと思って欲しい。一度行ってまずければ二度とは行くまい。少なくとも,東京ではそれで行く店がなくなることはないと思う。

問題は主観的に「まずい」ラーメン。言い換えるなら,好みによって評価が分かれるラーメンである。これは難しい。「正しいラーメンの味」なんて本来ないのだ。化学調味料を使っているから低級だという気もない(程度にもよるが)。「味の素」で育った僕には化調に対する抵抗感が少ないのかもしれない。無化調でわかりづらい味になり,その上値段が上がるくらいなら化調を使った方がまだいい。なぜならラーメンは庶民の食べ物だからだ。誰でも気軽に食べられた方がいいに決まっている。

「この味がわからないかねえ」なんて言い方はラーメンには似合わない。ましてや,「あんなラーメン並んで食べる人の気が知れない」なんて言い方は危険だ。「おいしい」「うまい」というのは自由である(乱発するのはその人の評価を下げるが)。しかし「まずい」は違う。だからマイナスの評価を与えるときは細心の注意を払わねばならない。自分の味覚に絶対の自信を持っているとしても,人の好みは人それぞれだからである。味覚に絶対的な自信まではない僕は,その店とラーメンの「雰囲気」を伝えるのみである。はっきり「まずい」とは言えない。

本当に「まずいラーメン」は話題にもならないままで細々と存続するか,自然消滅していくのだろう。そう考えれば「まずい」と話題になるだけ,まだましなのかもしれないが・・・(1999.6.21)

「まずいラーメン論争」を総括する

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