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夫婦とは一杯のラーメンのようなもので 【2000/04】

夫婦とは「一杯のラーメン」のようなもので,
「麺」が「夫」で「スープ」が「妻」かな。

「麺」は縮れていようがいまいが「固め」で「コシ」があり
一本かすかに芯が通っているようなものを善しとするけれど
太目でもちもちっとした「やわらかめ」がいいと言うのもわかる。

いずれにせよ,大切なのは「スープ」との絡み。
どんなに素性のいい「麺」でもスープとの絡みが悪けりゃ
そのラーメンは二流。なんかもの足りなくなるばかり。

スープは「麺」の引き立て役でありながら,
実はしっかり自己主張しているのがよい。
奥深さはスープの方が上ではないかな。

ラーメンの「印象」はスープの「色」で決まり
ラーメンに求められる食欲は麺が満たす。夫婦はどう?

「スープ」は仕込みに時間がかかるもの。
だからいつも気にしてなければ。
だけどどんなに気をつけていても
いつも全く同じスープができる訳じゃない。
同じ材料使ってもね。それだけ繊細なもの。
広い心で優しく見守らねば・・・

でも「麺」だって茹で加減を間違えれば腰抜けになる。
茹でるあいだぐらい見守って欲しいと思う。
世間に出る前の下準備が大切なのだ。
人前に出ればあとはその麺の実力次第・・・

「具」は「子供」と言っておきましょう。
シンプルな麺とスープで勝負するのも素敵だけれど
具で楽しめるならそれもひとつの選択肢。

麺だけ残されたラーメンは悲しげだけれど
少しスープが残ったくらいで食べ終わるのがいい感じ。
妻には,ほんの少しでも自分より長生きしてもらうのが良いということ。
(さだまさしの「関白宣言」みたい) ・・・・・・

(2000/4/8)

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参照 > ラーメンは「女」である


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